迷宮惑星
友人Sの暮らす惑星に訪れるのは一年振り、全土に五か所しかない宇宙港のひとつに到着すると、彼は笑顔で手を振った。
人も疎らな無機質な空間で、再会を喜び、彼の住む区画へと向かう。
この惑星は通称「迷宮惑星」である。
海や湖、河川などを除いて全土が迷宮となっている。原理は今だ解明されていないが、迷宮は自然増殖し、老朽化した空間は新しく生まれ変わる。まるで全体がひとつの生物のように存在している。
無数に存在する地下洞窟や地底湖で食料を調達、食糧工場で主食を生産、その他の生活必需品も皆で協力し、供給している。
巨大な地下道で惑星全体を行き来でき、
友人Sは物資を運ぶ運送屋をしている。
彼の住む区画は、その時々で変動する。仕事の需要は各地に点在しており、固定の家では不便だからだ。
彼の案内で、彼いきつけの居酒屋にいくことになった。
そこは地下であるため、最低限の照明、雰囲気があるといえば聞こえはいいが、幾分か辛気臭い雰囲気である。メニューは地下牧場で生まれた豚のもつ煮込みだけ、あとはアルコール臭い度数が自慢の酒。
「前々から聞いてみたかったんだが、何故、この惑星で暮らしているんだ」
Sは酒を一口飲み、もつ煮を摘まんで顎をさすった。
「疲れたのさ。地球の生活にな。ここでは、みな協力しあって、しかし干渉せずこの”迷宮惑星”を維持している。俺はその一部となって、物資を運び、駆け巡る。そして年を取って、死ぬ。それでいいんだ」
妙に柔和な面持ちで、これ以上立ち入っても仕方ないと思うことにした。
「お前こそ、何故、地球に帰るんだ。何のために」
地球に帰れば、ただ仕事へ行き夜遅くに帰り、休日は泥のように眠る。それの繰り返しと言えば、その通りであって、確かに何のために生きているのか。Sに問われて、答えに窮していると、彼はさらに続けた。
「冗談だよ。俺はこの惑星が水に合っているんだ。それだけだ」
一夜を明かし、
帰る前に有数の地底湖に案内してもらった。
そこは、抜けるような空間で、紺碧の岩肌は雄大であり、天上に僅かに穴が空き、純白の光が差し込んでいる。それを受ける水面は、極めて透明度が高く、湖底まで見えるほどで、色とりどりの魚群が優雅に泳いでいる。
湖畔につくられたベンチで、二人は湖面の揺らめきを見つめている。
「湖底に通路が見えるだろ? ほかの地底湖に繋がっててな、魚が回遊しているんだ。俺もあいつらみたいなもんだ」
「俺は俺で、地球で頑張るよ。母さんも、まだ元気だしな」
「そうか。家族が一番だからな。俺には関係ないけど、応援してるよ」
澄み切った湖面の美しさに見とれながら、
静かな時間が流れた。
帰りは地図なしには辿り着けないであろう、迷宮の狭い通路をSの記憶を頼りに歩き続けた。
訪問の、旅の終わりが近づいていた。
その道すがら、ふと考えた。
何故、地球で暮らすのか。それは結局、自分の生まれた場所であるし、家族や、友人や、愛する人々が生きているからだ。
それで、いいじゃないか。大層な人生の目的なんてなくても。
帰りの宇宙港。
Sは迎えてくれた時と同じ笑顔で手を振ってくれた。
宇宙船が大気圏を飛びだす。
宇宙空間に到達し『迷宮惑星』を眼下にして、また友人Sに会いに行くだろうと、そう想った。
それは特異な環境を楽しむ目的もあるが、一年に一度、自分を見つめ直す機会でもあると、再認識した。
迷宮惑星が徐々に遠ざかり、やがて点となり、視界から完全に消えると、地球の日常がフェードインしてきた。
中継地点である火星が近く、月面基地もそう遠くはない。
それは不思議なほどあっさりとして、スイッチで切り替えるような、雰囲気も何もない無味乾燥なものだった。