ロボット、心、アンドロイド

 せっせと体を乾拭きするロボット。鏡で光り具合を確認。家をでるロボット。執事ロボット。掃除、洗濯、炊事と指示すると「何故、私ばかり」と文句を言って出て行ってしまった。困ったものだ。
 
と、ロボットが心を持った場合。また、人間にしか見えないアンドロイドが当たり前のように存在したら、困ったものだ。ありとあらゆるSF作品で心をもつロボットが描かれるが、個人的に現実ではありえないと思う。
 何故なら、自己を認識し、人格を有した場合に個人として扱わなくてはいけないからだ。単なる「機械」なら、物なので他人への迷惑や違法行為がなければ、どう扱うかは持ち主次第。それが個人なら、権利を主張し、場合によっては徒党を組み、人間にあだなす可能性がある。どれだけ対策を講じても、当然、欠陥のある個体もいる。人間が制御しきれない。脅威になる。
「野良ロボット、アンドロイド」治安の悪化は免れない。あくまで、道具であり、冷蔵庫や電子レンジのような存在であるべきだ。「心回路」は法律で国際的に禁止されるだろうし、するべきだ。一方で、人間は出来ることはやってみたい困った生き物。例えば、エンジニアがロボットに心を芽生えさせるコンピューターウイルスをバラ撒いて、大混乱をきたすこともあるだろう。また、表立っては禁止しておきながら、富豪や権力者がペット代わりに密かに、心のある個体を所有するかもしれない。
 「モノ」と「ヒト」の一線は、やはり、超えてはいけない。ここで有名な
「アシモフのロボット工学三原則」を引用する。

1.第一条
  ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過する
  ことによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

2.第二条
  ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし
  、あたえられた命令が、第一条に反した場合は、この限りではない。

3.第三条
  ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれがないかぎり、
  自己を守らなければならない。

 人間はSFを始めとする創作物から学ぶことができる。可能性の探求が、人類にとって悲劇につながることがないよう、願うばかりだが、人間は過ちを繰り返す。そのたびに学び、現代社会が築かれている。もしかしたら、人間の真骨頂は、悲劇からの復興にあるかもしれない。と、真面目なことを、引用も含めて書いてみた。自分の考えをまとめる意味合いもある。これを生かして、何か書いてみようかな。
   

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