敗残者の一涙

「もう駄目かもしれん」
 人志は満天の星空と、寒々かつ荒漠とした大地に挟まれていた。油や、金属、人間の焼けた、如何ともしがたい匂いが鼻腔を刺激している。それはもう現実であって、遠くで煙をあげる宇宙戦艦は巨大な墓だった。
 かつての勇猛さも、誇りも、戦友たちの声もすでに黒焦げ。辛うじて動くドローンを飛ばして捜索させたが、生存者は発見できなかった。
 ここが太陽系の惑星で、酸素があり、未知の有毒ガスやウィルスが検出されなかっただけ幸運だが、そんなことも言っていられない。
 人志はよだれを垂らすようにして、漏らした。
「ああ、こわ」
 敵軍による敗残兵狩りを恐れての震えが、人志を追いつめる。
 孤独と恐怖を紛らわせるため、とめどなく思考を巡らせる。
(嗚呼地球に帰りたい。買ったばかりの鍋でカレーでもつくって、亜弥ちゃんとくんずほぐれつイチャイチャの限りを尽くしたい。それにしても、亜弥ちゃんは今時ホントに良い子だから、メッセージをこまめにくれて、あれは本当に勇気づけられたなぁ。あの柔くて白い肌に触れたい。なんか昂奮してきたな。それにしても、敵軍の奴等、いつやってくるだろうか。いや、もうすぐだろう。怖い。派手に戦艦が墜落しているわけで、直ぐにスキャンするだろうし、そうなれば俺の居場所なんてすぐ分かる。逃げてみたところで、それは虫篭の中の虫けらも同じで、ただ無駄に腹がすくだけだろうな。そうだ。亜弥ちゃんの肉じゃが、甘くてジャガイモほくほくで美味かったな。死ぬ前に一口でいいから食べたいし、一晩でいいから一緒にいたいなぁ。地球にいるから、それは無理だな。奴等が地球を支配したら、屹度、亜弥ちゃんも厳しい生活になるだろう。守ってやれなかった。うわっ、どうしよう。どうしよう。どうしよう。無理だ、そんなん嫌だ。地球に帰りたい。でもどうしたらいいのか、戦艦は大破してるし、他に宇宙船なんてあるだろうか)
 人志は立ち上がった。
「使えそうな小型宇宙船、残ってないかな」
 人志は荒野をトボトボと歩く。「もしかして」申し訳程度の、一縷の希望を胸に大破した宇宙戦艦を目指した。
 しばらくして前方に人影が揺らめいた。
「他にも敗残兵がいたのか」
 人志が近づくと、人影も近づく。そしてそれは蜃気楼ではなく、実体のある、やや小柄な友軍の兵士だった。
 名を、雅功と名乗った。面識はなかったが、唯一の生き残りと思っていた人志にとって、糊口を凌ぐ恵の雨のようなものだった。
「いや、よかった。今さ、脱出用の小型宇宙船、残ってないかと思って戦艦に向かってたところで」
「全部破壊されてるぞ。あっても、修理が必要で、こんな惑星にパーツもなんもない。あきらめろ」
「いやいやいや、そんなこと言ったってよ、ここにいても敵軍に見つかって殺されるのがオチ。それなら、可能性に賭けてさ」
 雅功は顔をあからさまにしかめて、唾を吐いた。
「で、惑星の大気圏超えたところで、撃墜だろうよ。地上のゴマ粒ふたつ発見するより、そっちの方が楽だろう」
 よく考えればそうだった。
 阿呆か。俺は。
 人志は一気に奈落の底に頭を打ちつけられ、脳漿ブチ撒ける思いで、つい、とめどなく思考が巡る。
(雅功の言う通りだ。万に一つも帰還する道はないかもしれない。いや、完全にない。考えれば、運よく動く小型宇宙船を発見して、修理できて、飛び立てて、敵軍の攻撃をかわしつづけ、月面基地までたどり着いたとして、そこはもう奴らの手に堕ちているだろうから、命はない。捕虜になろうとしても、今宇宙空間にいるやつらが、二人の処遇を面倒くさがって、ぶっ殺されて宇宙の藻屑。有り得る。ああ、こわ。どうしようもない。逃げきれそうにもない。そもそも、碌に食料もないし、一本角の獣の群れを見た気もするが、朦朧としていたから、妄想で幻覚である可能性が高いなぁ。いや。いやだ。亜弥ちゃんに会いたい。地球に帰ってパコパコして、髪をすりすり撫でながら眠りたいな。起きたらきっと、得意料理のオムレツでも焼いてくれて、ニコニコしながらそれを食べる俺を見てるんだ。うわ。かわいいな、綺麗だったな。丸顔で目はつぶらで、全体的に丸っこくて、愛おしさの塊のような女だったな。だった、か。もう過去か。もう会えないのか。このどうしようもない惑星で、雅功と死を待つのか。おしゃべりしたり、歩き回ったりしても、地球には帰還できない。しかし、脱出して、無事帰還する方法なんてあるだろうか、いや、いや、いやーん。ああ、しんどい――)
 雅功は遥か前方を歩いていた。
 人志は焦って、地面に足をとられながらも追いついた。
「待ってくれ、なんかアテでもあるのか」
「ないよ。拠点になるような場所を探すんよ。雨風凌げて、近くに食料が取れるような場所を」
 人志はあまりにも冷静で現実的な、その態度にムカついた。少しは動揺しろよと。地球に帰還できず、追われる身であり、生き残れる可能性はゼロに等しい。本来なら、全身の穴という穴から水分を流し、半狂乱になり、踊り狂い、「すいません、ミルク、ダークチョコレートパウダー、チョコレートチップたっぷり入った、ダークモカチップクリームフラペチーノをトールで。ホイップクリーム抜き、チョコレートソース、バニラシロップ追加で。ミルクは豆乳に変更で」なんて、のたまうに違いない。
 しかしこの冷静さ。
 いけ好かない。
 もとい、怪しい。
「そんで雅功よ、何処出身なの? 日本人だよな」
「日本だよ。東京出身。どうして聞く?」
「人間離れした冷静さだな。って思っただけだ」
 雅功は一瞬止まった。すぐに歩きだしたが、若干動揺した様子だった。
 こいつ、アンドロイドじゃないか。
 その疑惑から、再び、思考を阿呆ほど巡らす。
(こいつがアンドロイドだとして、このままついて行っていいのか。アンドロイドはメンテナンスなしでも一カ月は稼働できる。その間に何か、方策のひとつぐらい見つかるだろう。俺は違う。腹は減る。事故でもあったとして、所詮、こいつはロボットだからスクラップになるだけだ。俺は違う。撃たれたり、切られたりしたら痛いし、死にたくないし、地球に帰還したい。かといって、アンドロイドとはいえ仲間であり、唯一、この惑星で頼りにできる存在だ。袂をわけては、それはもう心細い。しゃがみ込んで、ゲロ吐いて、脱糞する小鹿のように震える。実際、脱糞する。恐怖と不安で。しかし、明るい展望はない。辛すぎる。心細すぎる。かといって無事に地球に辿り着ける方法なんて、ありもしない。袋小路すぎる。ではどうすればいいのか。袋小路なら、突き破ってやろうか。そんな比喩的に表現して考えてみても、亜弥ちゃんには会えない――)
 気がつけば、洞窟で焚き木をし、二人して暖をとっていた。
「雅功よ、作戦は思いついたか? 地球に帰還するための」
「無理だ。ここで生き残って、救援を待つ。それ以外ない」
 淡泊にも淡泊を重ねたような、人間らしくない態度。
 その後、話すこともなく、虚ろ虚ろして、人志は眠りについた。

 それはあまりにもあっさりとした出来事だった。
 翌朝、敵軍に発見されたのだ。
「武器はありません、抵抗もしません、ですから――」
 雅功の、人工の脳漿が破裂した。
 やはりアンドロイドだった。真っ白な液体と、機械の脳が流れ落ち、胸のあたりにへばりついていた。気色悪く呆気ない最後だった。壊れてしまえば、物にしか見えず、一瞬でも頼ろうとしていた自分を人志は恥じた。
「お前は捕虜だ。地球に移送する」
 敵軍の角刈りの隊長さんが、低い声で人志に言った。
 捕虜になりえないアンドロイドの雅功は、破壊処分されたのだった。
 相手が敵軍とはいえ、荒漠たる惑星から脱出し、地球に帰れるのだ。そのあとでどうなるかなんて、この際どうでもいいのだ。
 敵軍の宇宙船が轟音をあげ、上昇し、大気圏を突破する。
 宇宙空間だ。
 移送されるため、一室に軟禁された人志は、窓から見える大宇宙の壮大さに、つい、涙が流れた。
 鼻水のような一涙。
 どうしようもなく、やるせなく、切なすぎて声がでた。
「亜弥ちゃん、待ってろよ。もうすぐ会えるよ」
 人志は、兵士なんかこの際辞めて、海の見える丘でカフェでも開いて、北欧風の家でも建てて、休日はイオンモールでコストコな、幸せ家族をつくりたい。心からそう思った。
 

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