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飲みながら・・・。
よくありそうなパターン。
ある朝、寝坊してしまったJKは慌てて食パンを咥えたまま家を出る。
学校へ向かう道中、路地の角を曲がろうとすると角の先から来たDKと出会い頭に衝突する。
お互い、「気をつけろよ。」「どこ見て歩いてんだよ」などと言い合いながら別れる。
学校に着き教室に入ると、「転校生を紹介する」と言って現れたのがさっきのDK。
「あっ!さっきの・・・」なんてまた言い合う。
その後、なんだかんだと惹かれ合い恋に発展していき、繰り展げられる学園生活の数々。
ひとつのフォーマットのような展開。
そもそも、同じ学校に向かっているはずの2人がなぜ路地の角で出会い頭にぶつかるのだろう。
同じ目的地なら同じ方向に向かうはず。
同じ道ならどちらかが追いかけ、もしくは追いつく方向になるはずだ。
また、JKが朝のホームルームに間に合ったのなら、反対方向に向かっていたDKは、遅刻することになる。しかし、DKが朝のホームルームに間に合ったというならJKが通って来た方向でも、間に合うことになる。
単純にJKが向かった道が最短の道であったとして、普段使う道、すなわちDKが向かった道は遠回りだったとしたら、JKはそんなに慌てなくても間に合っていたのではないか。
そもそも、JKは普段からDKが向かった道を使えばいいのではないか。
その日近道を選んだとしてもDKはJKが来た道の方向へ向かって間に合っているのだから、近道でもなんでもないということになる。
そもそも、寝坊して慌てているのにしっかり食パンだけは食べようとする。
そもそもその時間に、その瞬間に、出会い頭の衝突事故が起きたということは、DKも寝坊していたのか、何らかの理由で遅れていたことになる。
転校して来た初日に寝坊。理由はともあれ遅刻しかけているDK。
転校生の紹介があるということから始業式の日だと推測される。そんな日にもかかわらず遅刻。寝坊。
この2人にとってこの日は、過失的に『やらかしてしまった1日』だったのだろうか。それとも、日頃からよくあることだったのだろうか。
ドラマや演劇、映画などでは、とんでもない設定で繰り展げられていくストーリーに夢中になる。
『小説は奇なり』とよく言われている。
現実に起きる出来事の方が小説などの空想の世界よりも不思議だという。
まさに、このDKとJKに起きたこの出会い頭も不思議な出来事と言いたいところだが、不思議なのはこの道を選んだということだ。
『たまたま』という言葉で全ては解決してしまう。
7/10,000,000の確率で2人は出会う。
それが『たまたま』この日に限りこの道を選び、この時間に衝突する。天文学的数字の確率になるだろう。
と。
こんな馬鹿げた話しを、大好きなお酒でも飲みながら、気の合う友人とあーでもない、こーでもないと言いながら話し合いたいというのが、わたしの望みなのだ。
宇宙の切れ目の存在や、タコの正体は地球外知的生命体だとか、海底には秘密基地があるだとか。
こんなアホな話しを笑いながらも真面目に話し合いたい。すでに、こんな望みを叶えている人もいるだろう。羨ましい限りだ。
残念ながらそんな友だちも、話し相手もいないわたしにとって、淋しいの一言に尽きる。
こんなことをここで書いているような奴に、そもそも友だちなんてできるであろうはずがない。
それこそ『たまたま』の話しだ。
『小説は奇なり』ならあるはずなんだが・・・。