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知ったかぶり

何となく、何もかもがつまらないんだ。
何をやっても、楽しいなんて思えないんだ。
なんだか、バカにされているようで。
なんだか、干されているようで。
なんだか、避けられているようで。
この劣等感はどこから来るんだろう。

自分のやること、なすこと全部が、
ちっぽけで、無意味で、しょうもなくて。
「すごいね」「いいね」なんて言われても、
「嘘つけ!そんなこと本当は思ってないくせに。」
と思ってしまう。
腐ってるよね、ぼく。
それは、被害妄想だねって、
一言で片付けないでよ!
妄想なんかじゃないよ。
だって、ぼくは傷ついているんだから。
被害はあるんだ。ぼくはぼくに傷つけられた。

まだ幼稚園児だった頃の記憶。
幼稚園の建物の2階の窓から、隣にあった小学校の校庭で遊ぶ小学生を見て、
「あんな風に、友だちと仲良くできるのかな?」
って、不安を感じてた。
小学校に入って感じたのも、クラスのみんなが話していることが、わからなかったし、着いていけなかったことで、不安を感じてた。

「知らない」と言うのが怖かった。
だから、いっぱい勉強した。(つもり)
成績が良いってほどではなかったけど、あほではなかった。(はず)
「知ったかぶり」と言われるのが怖かった。
でも、「知らない」と言うのは嫌だったので、知ってることには、「知ってる」と言った。すると、「知ったかぶりしやがって」という顔をみんなする。
それがたまらなく嫌で、怖くて、心を開くのはやめた方がいいと思ってた。だけど、いじめられたりされるのが怖かったので、みんなに合わせた。
辛かったし、しんどかった。
何よりめんどくさかった。
みんなの顔を見ると、
バカにされているようで、
腹の中で笑われているようで、
近づくのが怖かった。
結局、50歳になっても何も変わっていない。
やっぱりあほだったのだと今更、思う。
「知ったかぶり」だったのかなぁ。
人の悪いところばかりが見えた。
人の良いところなんて、信じられなかった。
人の良いところも「知ったかぶり」できたらよかったのにと、今は思う。

こんな文章も、
読む人が読んだらどう思うのだろう。
めんどくさい奴だと、思うだろう。
ぼくは誰かと、一緒に泣きたいだけなんだ。
こんなつまらない毎日を、
誰かと一緒に笑いたいだけなんだ。
「つまらないね、毎日が。しょうもないよね、人生なんて。」って、泣きながら、笑いたいんだ。
でも、一緒に泣いてくれる人すらいない。
一緒に、笑える友だちすら1人もいない。
ずっと。
ぼくははじめて、淋しくて泣いた。
こんな自分を、ぼくはバカにした。
腹の中で笑った。
「お前、あほやなぁ。めんどくさい奴やなぁ。」
ぼくがぼくを避けている。

自己満足すらできない人生に、嫌気が刺してきた。
「おい!そこのぼく。幸せって知ってるかい?」
「知ってるよ」
「知ったかぶりしてんじゃねえよ!」

ひとりで泣いた。
ギター持って、大声で泣いた。
やっぱり、ひとりだった。




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