幸せになるためには相手の幸せを一生懸命願うしかない

どこぞの教祖様のようなタイトルになりましたが。
最近読んだジェーンスーさんの著書に書いてあって、ハッとしてしまいました。(苦笑)

みんなもうこのこと知ってるのかな?私は43歳でハッとしちゃったよ。もうやだなぁ。もっと若い時に知りたかった。
いやでもね、どう考えても私の幸せ考えてくれてない発言行動に出会う事って大人になってからでもあるから、みんなが知ってるわけではないはず。私だけじゃないよ。また卑屈になってた!

今までの人間関係、自分がうまくいかなかったものも、何だかこの人とは噛み合わないなあも思ったものも、たぶんここに尽きるんだと思う。

結果対応として間違ってたかも…と思うものでも、相手が一生懸命自分の幸せを願ってくれたものだということが伝われば、苦笑いとか、違うんだけどなあ…くらいで済む。
とにかく必死になって、相手の幸せを考えて接していれば、やっぱりどえらいおかしいことにはならないのだ。

子供達にもこのスタンスでいきたい。できれば子供達には、できるだけ早くこのことに気づいて、自分の幸せを一生懸命考えてくれる友人や同僚や恋人に囲まれて過ごして欲しい。自分の幸せしか願ってない人と一緒にいるのはあまり幸せではないから。
そしてお母さんである私はやっぱり、一生懸命子供の幸せを願いたい。そして子供が幸せになってくれればそれが結局私の幸せだ。
何だかまたどこぞの〜な感じになってしまったが、まあでも親としては普通の感情だとも思う。膨大な時間とお金と手間をかけて子供を育てるのだから、やっぱり幸せになって欲しいと思ってしまう。これは私の欲と言われればそうかもしれないけど、でも、幸せになって欲しい。

勉強や躾やマナーなども、言うのも言わないのも子供の幸せのためにどうかな?と考えるべきで、自分の見栄やプライドみたいなものが入ってくるからおかしなことになるのだ。

夫の母はマナーに厳しく、夫は小さい時「あなたはいいの。私が恥ずかしいの」と何度も言われたらしく、私は誰かからそう言われたことはなかったのでとても驚いた。
まあ夫の母もそう言われて育ったのかもしれないし、時代的にも子供のマナーがなってないのは母親の責任!などと言われてしまう雰囲気というのも理解できるので、夫の母が特別変な人ではないんだろうけど、私はあまりそうは言いたくない。

マナーは子供が恥ずかしくない程度には教えるべきだと思うし、知っていた方が良いとは思うが、マナー違反は犯罪でもなければ倫理的に問題のある事でもないので、他人のマナー違反に過剰に反応するのはそれもまたマナー違反かなあとも思う。
とはいえ、みんなで使うところは綺麗に使うだとか、時間には遅れないとか、万が一遅れる時は連絡をきちんとするとか、お葬式には喪服を着るとか、自分が社会で生きやすくなるためにマナーが必要な時があるので、そういう認識で子供達には伝えたい。

お金も子供が幸せかなあ?と考えて使うようにしたい。何でも買ってあげるのも子供の幸せのためにならないし、何にも買ってあげないのも子供の幸せのためにならない。
明確な基準は出せないし、時々間違うかもしれないけれど、これに使うの幸せに繋がるかなあと一生懸命考えることを諦めないようにしよう。
 
友達も、何があったわけじゃなくても、だんだん少なくなってくる。今も残っている友達には感謝しかないし、大好きだし、心から健康で、幸せでいて欲しいと思っている。

やることがシンプルになって嬉しい。
自分が幸せになるために、相手の幸せを一生懸命願うこと。
「やってあげること」も、相手の幸せになるかどうかが判断基準だ。

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