そこが気になるとき

 近くにいると、ふだんは気にならないことも気になってしかたがない。一方で遠く離れていると、気になることに気づかないので、それは「気にならない」という状態とは異なる。つかず離れずというのが好ましいのか、近くにいても「気にしない」のが良いのか、とかく他者との付き合いは骨が折れる。そんなときの魔法の言葉として、これがある。

ま、いっか。

 いまでもそうだろうか。ムー(娘のムーの話はこちら☛「できることから」「エンジョイユアセルフ」「長生きの意味」)が小さかった15年ほど前、いわゆる『育児本』を読み漁ったり、関連の講演会に出かけたりしたときによく見聞きした言葉のひとつがそれだった。

 ガミガミ、ねちねち小言がエンドレスに続きそうになったとき、思い出して口に出してみよう。「ま、いっか。」と。すると、あらあら不思議、なんだかどうでもよいことに自分がとらわれていたことに気づかされるではありませんか。文字通り、ま、いっか、いいよ、いいよ、気にしない、気にしない、ひと休み、一休み、ちーん。byアニメの一休さん。という具合にすっきり気分爽快になる。

 ほんまかいな。いや、ほんまでっせ。せやけど、そうなるためには「訓練」が必要になりますよってに。
(関西圏に暮らして20年余。生粋の大阪人の友からはいまだに“関西弁”チェックを受ける私……だけれど、ときどき直球勝負したくなる)

 わが子のみならず、他者に対して、いらっとしたり、怒っている最中にはなかなかこの言葉は出てこない。そう、だって、それ、そこ、気になるのだもの。「ま、いっか。」なんて流せる話じゃない。
 そして悔しいかな、私が気になるところが、相手には気にならない……のが常で、それが余計にいらいらを増長させる。
 白状しましょう、はい、私は怒りスイッチが簡単に入るタイプの人間です。そして、同じように簡単にスイッチオフにもなります。大抵は心やさしき隣人の対応によってである。謝り方が上手な人、または変化球で返してくる人には、いやいやこちらこそ小さなこと(どうでもよいこと)で気を荒立ててしまってお恥ずかしい。失礼しました。となる。

 しかしながら、相手の出方次第というのはあまりにも分が悪いので、自己鍛錬を重ね、場数を踏むにつれて、自分自身で立て直せるようにもなってきた。(多分……)

 「ま、いっか。」と並行して唱える言葉を加えてみた。

〇〇(相手)は私じゃない」。

 たとえ親子であっても親しい友人であっても、私はあなたではないし、あなたは私ではない。気になるポイントが違うのは当たり前。それを、なんで(私と同じように)感じないかなー、やらないかなー、考えないかなー、動かないかなー、と思うのは勝手だけれど道理はない。同じように別の視点で、私はあなたからそう見られているのだ。きっと。

 そこが気になるのよね、わたしって。
 そんなところを気にするんだー、あなたって。
 やはり”察する”より”聞き合う”が易し。
 どちらも蓋をあければ同じ釜の飯粒。ゆっくり噛んで味わいたい。
 
 
 
 


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