いのちとは心が感じるものだから
大切な人の死は
何を教えてくれるんだろう
この一年
いつも私を気にかけてくれて
いつも元気をくれていた
大切な人が亡くなった
彼女の身体の死は
たくさんの人に
その人に今必要なメッセージを
送ってくれたんだと思う
私へのメッセージはこうだった
「ななっぺあとは任せたよ!楽しんで!!」
一年前
私たちが出逢えたことを
彼女はとても喜んでくれていた
「もう大丈夫なんだなぁって。なんか最近安心しちゃって」
そう言って笑う彼女は
去年の12月、講義の後ろでこっくりこっくり居眠りしていた
そんな彼女を見ていると
なんだか安心しちゃって
難しくても
肩の力を抜いて
楽しく学ぼうと思えた
彼女はいつも未来確信だった
いつも楽しそうだった
25年間も
みんなが幸せに生きる社会を目指して
ひたすらに走り続けた人だった
「ななっぺ、教育なんだよ。これから私たちが教育へといくときにあなたに出逢えたんだよ」
彼女にそう言われた時はまだ、自分が認識技術を学んでどうしていきたいかは決まっていなかった。その言葉も半分くらいしか受け取れていなかったと思う。
あれから一年。
突然の彼女の訃報に私の時が一瞬止まった。
もう、会えないの?
もう、話せないの?
もう、笑い合えないの?
信じられなくて、一気に寂しさが襲った。
受け入れきれなくて
それから彼女と交流があった色んな人に彼女の最期を聞いた。
彼女は1ヶ月前、気づいた時には骨の癌が全身に転移していた。
驚いたことに、病気がわかる1ヶ月前は、私と電話したりLINEしたりしていた。私だけでなく、みんなの前でも元気だったのだ。
病気がわかってから、お見舞いに行きたいという人に彼女は
「私のことに時間を使うくらいなら、一分一秒でも認識技術を広めることに使って」
と言って病院の場所すら教えなかったという。
それが、一緒に20数年間ともに歩んできた大事な仲間であっても。
私はそれを聞いたとき、
彼女が本当に一人の人間としての個を超えていたんだとわかった。
この身体が自分ではなく、
認識技術を伝えていく共同体が自分であり、
もっと言えば
身体を超えて源泉動き心そのものが彼女になっていた。
彼女の最後の言葉は、
「共同体に貢献したい」
という言葉だったという。
私が彼女の訃報を聞いたとき、
私は大分から名古屋へ向かっている高速バスの中だった。
飛行機に乗って現地に着くと、雨がパラパラ降っていた。
明日は、パレードがある。
仲間と一緒に名古屋の街中を300人くらいで歩く、
認識技術が日本で誕生したよーという歓喜のパレードだ。
「明日、一緒にパレードに参加しませんか?」
公園でチラシを配っていると、犬の散歩をしているおばあちゃんが言った。
「あら、明日は一日中雨の予報だよ。雨でもするのかい?」
天気予報は見ていなかったけど、どうやら明日は雨らしい。
みんなにもカッパを用意してきてと連絡が来ていて、私も慌ててカッパを買った。
次の日の朝、信じられない光景がそこにはあった。
晴天。
晴天。
スッキリと晴れ渡った空がみんなを包んでいた。
(千尋さんだな)
と思った。
そしたら、会う人会う人
「千尋さんだね」
と言った。
眩しい笑顔と共に。
その言葉だけで、私たちはよかった。
「日本、おめでとう!」
「日本、ありがとう!」
「千尋さん、ありがとう!!」
思いきり
思いきり叫んだ
涙が溢れる
だけど不思議と悲しくない
寂しくない
千尋さんが見てくれている
笑っている
応援してくれている
それがすごく伝わってくるから
「いのちとは心が感じるものだから
いつでも会えるあなたに会える」
2週間くらい前に友人に借りた短歌集の中に
この詩を見つけて
すごく心に響いて
思わず写真を撮っていた
後から考えると
この日は千尋さんが亡くなった二日後だった
会いにきてくれていたのかな
大分まで
千尋さん
ありがとう
私、頑張るね
楽しく
楽しく
千尋さんが守ってくれたもの
伝えていくね
いのちとは
心が感じるものだから
いつでも会える
あなたに会える
本当に本当に出逢ってくれて
ありがとう
千尋さん(仮名にさせていただきました😌)