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人と話すことで自分の限界は簡単に越えられる。
「次につくる場所では、どんな子でも受け入れたいと思ってるのは、私の甘えなんでしょうか?」
私は、その方へ恐る恐る尋ねた。
「う〜ん、じゃあさ、他の子に暴力を振るう子が来たらどうするの?」
グサリ。鋭い。
そう、そこなのだ。
その問いに対する自分の答えが、固まっていないのだ。
「……話し合います」
なんとか絞り出した言葉は、こんなにも頼りないものだった。私は自分で言った言葉に苦笑いするしかなかった。
理想と現実のギャップが重くのしかかる。
「話し合うなんて、そんなのあたりまえじゃん。その子だって誰かを傷つけたくて暴れてるんじゃないよね。だけど、周りの子が傷つけられることもあるかもしれない。そんなとき、あなたはどうするの?」
もう一度聞かれて、言葉に詰まる。悔しい。
私がやりたいことは、やろうとしていることは、やっぱり甘いのか。
結局ただの理想主義でカタチにならないままなのか。
黙っている私に、その方は今度は優しく語りかけてくれた。
「……そういう子はさ、まずはみんなと時間をずらして受け入れてみたらどう?ちゃんとみんなにもその子にも説明してさ。」
はっと顔が上がった。
みるみるうちに目に熱いものが溜まっていく。
「その子が環境に慣れてきたり、落ち着いたりしてきたら、今いる子たちと少しずつ混ざっていけるかもしれないよね。自分が大変になりすぎたらいけないから、人数とか時間の調整は必要だよね。少しずつでいいんだよ」
そうか……そうだ、そっか!確かに!!!
それだったら自分の無理のない範囲でできるかもしれない。
自分の中で止まっていた迷いや不安が一気に吹き飛ばされたような気持ちになった。目の前の霧が晴れたような感じがした。
今まで何度も同じ問いを自分にしてきたけれど、いつもどこかで行き詰まりを感じていた。
どんな子でも受け入れるなんて自分に本当にできるのか?
その覚悟はあるのか?
その器があるのか?
責任は取れるのか?
そんな問いがぐるぐる回り、私は一歩を踏み出せずにいたのだと思う。
だけど、今日その方に話を聞いてもらって、目から鱗がポロリと落ちた。
「まずは時間と空間をずらして、その子と関わってみる」
言ってしまえばそんな単純な発想が、自分にはなかった。
「どんな子でも来れる場所」を目指したいと思うがゆえに、そのハードルを自分で勝手に高くしていたのかもしれない。
最初から受け入れられるのか、受け入れられないのかという「できるかできないか」の選択肢でしか考えられていなかった。
「みんなが一緒に過ごせる」を目指すからこそ、まずは分けて受け入れる。
順番が逆だった。「分けたらいけない」という表面的な考えだけが私の中で先行していたのだ。
「そういうやり方なら、私にもできるかもしれない……!」
ずっとどこかで探していた道がうっすらと見えたようなそんな喜びが胸の中いっぱいに広がっていた。
その方は長い間、子どもたちや不登校で悩む親御さんたちと関わってきた方だった。経験のある方の言葉は、本当に重くて力強い。
たくさん実践されてきて、たくさんチャレンジして、たくさん失敗してきたからこその言葉の重みなんだろうと感じた。
自分にそんな器があるのかどうかは、正直まだわからない。
だけど、できる限りやってみたいと思う。
人と話すことで、こんなにも自分の悩みが一瞬にして解決するもんなんだと驚いた。これからも色んな人と話をしていきたいな。そして、理想の場所をつくるために、もっと考え方を柔軟に視野を広く持っていきたい。
大人になってこんなに学ぶ事が楽しくなるなんて思ってもみなかったなあ。