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つまる人間とつまらない人間

誰かと話していて「この人、つまらないな」と感じた経験はないだろうか。
なぜ、そう感じるのだろうか。
つまる人間とつまらない人間を分かつものは何だろうか。


つまらないの語源を辿ると、「詰まる」という言葉に行き着く。
「つまらない」は動詞「詰まる」の否定形である。
本来、「詰まる」とは、<筋が通る、納得できる>という意味をもつ。
つまり、つまらない人間とは、筋が通らず、納得できない人間を意味すると考えられる。


しかし、わたしが思うつまらない人間は、これと少し異なる。
わたしにとって、つまらない人間とは、中身が詰まっていない人間だ。

シュークリームを例えにして考えてみよう。
中身がたっぷりとカスタードクリームで満たされたシュークリーム。
一口食べれば豊かな味わいが口の中に広がり、幸福感に包まれる。
このシュークリームを食べて良かったと思うし、ふとした時にまた食べたいと思うだろう。

一方、中身がほとんどないシュークリーム。
軽い食感はするものの、物足りなさが残る。
シュークリームを食べた気がしないし、次にお店で見かけても、同じシュークリームを手に取ることはないだろう。

つまらない人間とは、まさにこの中身がないシュークリームのような存在ではないだろうか。
何事に対しても興味を示さず、自分の意見をしっかりともたない。
表面的な知識で理解した気になって、評論家気分に浸っている。
まるで、中身が空っぽのシュークリームのように、つまらない人間からは何かを深く感じ取ることができない。

逆に、魅力的な人間は、中身がぎっしり詰まったシュークリームのようだ。
何事に対しても興味をもち、生の経験をたくさんしている。
特定の分野に深い知識を持っていたり、独自の価値観や考え方を持っていたりする。
まるで、カスタードクリームがぎっしり詰まったシュークリームのように、詰まっている人間からは豊かな世界が広がっていく。
だからこそ、彼らには人間的に深みがあるし、惹かれるのだろう。


私もまだ、中身がスカスカで詰まっていない人間だ。
たった20数年の人生で、経験できることは限られている。

これからも本を読み、人と出会い、考えを綴り続けていく。
関わる人がまた食べたいと思ってもらえるシュークリームになれるように。

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