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おばけが見える。


満月でしたね。

月にウサギは見えましたか?
それともカニの運動会??

はたまた女性の横顔でしょうか。


私はですね、乱視がひどいのでミッキーに見えます。



夜に、

「あ!おばけ!!」

というのは、人の心が見せたもの。

という話がありますよね。

― 幽霊の正体見たり 枯れ尾花―


今日はそれについて書きますので苦手な方は、そっとじ、でお願い致します。





私、何度かおばけにお会いしたことあるんですが、印象的だった話を、一つ具体的に書かせてください。

恐らく、これが最初の体験です。

私がギリギリ20代だった頃の初秋、県内の遠い所へ泊まりがけで遊びに行っていました。

当時の彼氏と出掛けていたので、それはそれは、気分はいいですよね?

うきうき楽しいばかりで、幸せといえばそうでしょう。
昼間はコスモス畑を見て、頭の中もお花畑全開。

しかし、若者達はお金がないので、少し安い、昔からある観光ホテルに泊まりました。

内装は古いけど綺麗だし、特に何も思っておりませんでした。

昔はよく結婚式場として使われていたホールつきのホテルでした。

近頃は、そういう場所で挙式する人は少ないように思います。

だから少し安いのかな、と今なら思いますね。
所々、昭和の終わりを感じさせるデザインでした。


しかし、重要なことには、私はその日の夜は、幸せなバカというか…
時よ止まれ!と言わんばかりに、幸せムードで眠っていたわけです。

闇夜にぶるぶる震えながら眠ったわけではないのです。

それに、霊感とは無縁だと思っていて、一切何も不安に思わず眠っていました。



それが、




どれくらい眠ったかわかりません。

私は、間違いなく、足の先の方から押さえられているのを感じました。


ぎゅうっと締め付けて上から圧迫されているのは、ちょうど人間の両手の感覚。


金縛りになることはよくあったのですが、家でもよくなるし、こたつで寝てもしょっちゅうなってたし、俗に言う、「体が眠って、脳が起きちゃって動かない感じする」ていうやつは知っていました。


でもその時は、確実に足首だけが縛られてるみたいに重いんです。

そして、「これはいつもと違うな」、と気付いた瞬間、今度は首が締まりました。

一瞬ロングヘアの人がふわりと見えて、

「あ、やべぇな。」

と初めて思い、反射的に目をぎゅっと閉じました。


めっちゃ苦しい!!!首だけ苦しい!!!



いつもの金縛りは、身体が痺れてビリビリ…「あぁ、またなってるうぅ〜しんど〜〜」くらいなのですが、
その時は違いましたね。


もう◯ぬな、と思うくらいに苦しかったです。首だけ。


で、「ウゥ〜〜〜〜〜〜めっぢゃ苦じい!!どうにかせねば!!」の方に必死になっていたら、

女の人が、ジメジメどろどろと言うんですよ。

「…ぉ前に…
 
 …お前にぃ……


 …お前に私の苦しみがわかるか!!!!!」


って。







いや、






しらんがな!!!





てかあんた誰やねん!!!!




と、本気で思いました。

君、シンプルに失礼だろう!
急に他人様の幸せな睡眠をぶち壊しやがって。

私の人生のうちでそんなハッピーな瞬間が何度も来るか?今だけぐらいだろ?
多分、今、この人生の内でマックスやって。

そのうちうまくいかんとき来るって。(未来の、今の私は知っている。それはそれはうまくいかんくなる。)



私は苦し過ぎて、脳内で言った。


「すみません、やめてもらえますか?めっちゃ苦しい。」



次の瞬間、私は人生で初めて、幽霊に思念というやつか何か、思いの塊を飛ばされた。


共感覚のようなものだと、今思うが、


私はとてつもなく悲しくて悲しくて、



ボロボロ涙を流していた。



体が苦しいのではない。



恐らく、彼女の気持ちを感じたのだ。




それは、始めは燃え上がる怒り、憎しみだろう。彼女は誰かに対して「裏切ったなっ!?」と言っていた。

だが、次第にとても哀しくなった。

例えるなら、音もなく、闇夜にほろほろ雪が降るように、静かで、
どこまでも孤独で、消えてなくなってしまいそうな心細さだった。


 
私は、幽霊に言った。





「あぁ…すごくさびしいね。そんで哀しいわ。」


おばけからは、返事はない。

私は続けて言った。




「あぁ、わかったよ。」





ふと気が付くと、
私は首も絞められずに、夜中のベッドの上で転がっていた。

飛び起きて周りを見渡す。

ツインルームだったので、向こうのもう一個のベッドでは、呑気そうに青年が口を開けて寝ている。


何も異変はない。


その平和に安堵したのか、私は怖いという気持ちより、哀しみに満ち満ちて、疲れ果ててまた眠ってしまった。



翌朝、すぐその話をしたが、信じてもらえなかった。

ごめんね、オカルト女で。

と、今は思う。



しかし、改めて思うと、
それはキャピキャピ騒いでいる稚拙な私への彼女の嫉妬だったのか、
あまりにも苦しくて誰かに言いたい気持ちだったのか…


……おい、まさか、今思い返せば、当時のヤツの浮ついた心の相手が生霊飛ばしたんじゃないだろうな?

それか、当時は知らなかったが、私の第六感がその存在を知らせてきたとも思える。

それくらいリアルに感じた。

そうだとしてもだ、彼女達にはシンパシーでしかない。




だが、その話は誰にも言えないし、書けないし、そのうち私は、そのことを忘れた。




その時だけだと思っていた。





けれど、そのうち私は気付いてしまった。




私が見ようと思うと、みんな、心の後ろにおばけがいる。

多分私にも居る。

それは、その人の幽体離脱みたいなときもあるし、
子どもの頃のその人のこともある。




もはや、私は誰かに信じてほしい気持ちはないのだが、
みんな心におばけが居る。私も居る。

それはエゴと言われたり、欲求と言われたりするが、根本的には皆、救われたいのである。
見つけて欲しくて、満たされたい。
理解って欲しくて、たまらない。


「褒めてくれ〜おばけ」や、「お前が憎い〜〜おばけ」。


ふと、私が油断すると(そのことを忘れていたり、気を遣っていない時)、


「お〜い、ここにおるで〜。」

と、見える時がある。



たまあ〜に「鬼です!人間の皮被ってます〜〜」を、爽やかに「こんにちは♪」って言われる、みたいなこともあるけど、それは本当に時々。稀に。
出会い頭にドつかれるくらいレア。


それは、幽霊が見えます!ということを伝えたいのではなくて、
そういう視点で見ると、誰も彼もが人間クサくて面白く、愛おしいという話だ。




一時期、妖怪ウォッチが流行った。

近年出回っているスマートウォッチにも、そのうち表示されるんじゃないかな。

「あなたのエゴが表出するまであと◯分。」

とか、

「今、『ワタシ ダケヲ ミテおばけ』が彼氏に感知されました。」

とか。



節分のときに『鬼』を何とするか、も近い感覚がある。

小学生の私は、「私の中の、怠け者鬼を退治します!」と、
デカデカと『2月のめあて』に書いていた。

その後30年は経とうというのに、今ではその鬼は私らしさの一部である。

もし、わけもわからず、2月になると、ただ大豆を大地に蒔いている人がいたら…
その『鬼』は皆の心に住んでいると想像してみてほしい。

あるいは災厄だったりするのかもしれないが、
人生において、これが悪!!なんてことはジャッジしきれない、と、私は今思う。

私の人生は恐らく"幸せな印カード"みたいな手札は少ない。


あなたは、お金持ちですか?

頭は良いですか?

持病はありますか?

イイ仕事をしていますか?

亭主は元気で留守ですか?

子供はいますか?

それらの取れ高がイコール幸せだとは言えない、ということを知るための私の人生かもしれない。

そんなカードを見せてくれと言う人がいたら、鬼か、または、クラベタガリおばけなので、豆乳風呂にでも浸けてあげよう。


きっと、その人は、お肌がきれいになるか、ほっこりした気分でマイルドになってくれよう。


あぁ、そろそろ胡麻豆乳鍋が食べたい季節だ。


さて、私のおばけはまだゴロゴロしているらしい。


みなさんは、私はおばけが見えると思いますか?

それとも、それは枯れ尾花だと思いますか??

他にもその後、出会った幽霊や、不思議な夢や体験がたくさんあるので、少しずつ書いてみようと思う。

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