お釈迦様はジェットコースターもお遣えになさる。
これはもう、なんと申し上げたら良いのでしょう。
まずは我々の愚かさを恥、頭を下げるより他ならない。
いや、それより先に、ご住職様のご厚意と、坊守様の優しさに感謝申し上げ、何かお納めさせていただかなければ…
という心境になった、尊いお心遣いと、我々の大失敗のお話です。
皆さん、自然はお好きですか。
はたまた、少し人里離れた、山寺などお好きではございませんか。
私は大好きです。
これまでも、何度もそこへ通っておりました。
私自身、「これだ!」と思う宗教は未だなく、ごくごくありふれた日本式な家庭の人間です。
冬にはクリスマスケーキを求め、年越し蕎麦を食べながらゆく年くる年を見て除夜の鐘を聞き、お正月は神社へ初詣へ行く、無宗教に近い、お葬式が「南無阿弥陀仏」のお家です。
でも信仰というものは好きです。
そんな私ですが、心が疲れた時は、美味しい空気と、潤む山々の緑と、あの静かなお堂から見える景色を味わいたくて、そのお寺に赴きます。
車で1時間かからない所にあり、大概一人で行きますが、県外に住む15年来の親友を連れて行ったこともあります。
元々、そのお寺には、うちの亡くなったひいばあちゃんがいる頃のむか〜しから家族で時々行っていて、紅葉を見たり、麓の茶店で田楽を食べたりするのが好きでした。
車では登れず、登山口に車を停めて、歩いて頂上のお寺まで登ります。
本当に「山」なので、登り切るまでに30分はかかります。
ご住職や、ご家族様はそのお寺にお住まいで、一度、ご住職が登られる所をお見かけしましたが、天狗さんですか?て言うくらい速かったのを覚えています。あれが修業した方のお姿か…と尊敬の眼差しで見てました。
そんなお寺に、久しぶりに家族で行きたいという話になり、おばも一緒に行くことになりました。
父、母と、おば、祖父、そして私。
麓で遅いお昼を食べてから登りました。
その頃はまだ父も病気が初期段階で「太り気味だし、できるだけ運動して」とお医者さんに言われているレベル。祖父も認知症ではない上、健脚なので、みんなで休み休み、45分くらいで登ったように思います。
そのお寺では、登ってきた人にお茶とお茶菓子を出してくださるので、そこで坊守様(奥様)と家族とで、昔話に花が咲き、すごくいい時間……………
いい時間…………
おい!!!イイ時間になっちゃってるよ!!!!!
まだ寒くはないものの、山の天気をなめたらあかん。
ここは、日が落ちるときは一気に暗くなって冷えるらしい。
そもそも登り始めた時刻が遅かった。
14時頃か、それより少しあとだった。
愚かなことをしてしまった。
子供の頃は大人について行くだけだったし、近頃は一人で行くことがほとんどだった。
このメンバーで急いで山を下りるなんて、きっとできない。
でも今すぐ下りたら間に合うか…
母とおばと私なら早いけど、
と話していたら、なんと、住職様が送ってくださると!!
しかも、荷物運搬用の近道ルートで。
仏様やぁ……
有り難いやら、情けないやら…
そしたら裏道から行くから、元気な人は歩いておりて、祖父と父は近道で。
そして私は、祖父と父を補助するために近道ルートで。
という作戦になり、それぞれ別れてよーい、ドン。
裏へ回って、ご住職から「こちらへどうぞ」
とご案内された先になんと…
トロッコ!!!!
しかも………モノレール!!!
モノってあれですよ、車輪が1本という…市街地にある、電車のモノレールの方じゃなくて、山用の…林業とかされる方用の…なんて言ったらいいか…
地面からちょっと浮いた1本の線路の上に、繋がったバイクっぽい感じ。
遊園地の子供用機関車みたいな。
バイクってことはつまり、体の周りには屋根とかドアとかないってことです。
祖父と父を座らせて。
いざ私も着席。
ご住職も運転席へ。
「あまり速くはありませんが、少し怖いかもしれません。では…」
なんてお優しい方なんでしょう。
ブロロロ……
(おっ??おおっ???)
ゴゴ…ゴゴ……
ゴゴゴーーーーーーーッ!!!
(角度すごいーーー!!
落ちそうで落ちないーーー!!
木が近いーーー!!
左右がフリーダム!!)
たまにガコンと左右どっちかへみんな傾く。
あーーーーーれーーーーーー
ものすごくスリリングで楽しかった。
でもそれより何より、ご住職が優しくて…
おじいちゃんは身体能力高くて、体が軽い仙人体質なので、ひょこひょこひょいと降りられたが、父、降りられず。
足が思う様に動かなくて、ちょっと地面から高い座席な上、力をかけると座席が傾くのだ。
私が介助で支えていたら、ご住職が、父の足が引っかかる柵をバキッと外し、「私につかまってください」とサッと背中を貸してくださった。
申し訳ないと負ぶさる父。恐らく年齢は十も変わらない。
「重たいでしょう!本当にすみません」
と焦る私に、
「いいえ、私の修業が足りず、ご心配ですみません。」
と。微笑まれた。
こんな、
こんなに、
仏様みたいな人、
現世におるんかーーーーーー!!!
と、私は山にこだまするほど叫びたかった。
そこからは更に車に乗せていただき、母たちが待つ駐車場に着く頃には、辺りは薄暗くなっていた。
まだ時刻は日没より少し早かったが、山かげなので、暗く冷えるらしい。
家族で謝り続けるも、全く怒られることもなく、「よくお参りされました。」と……
その後、お礼とお詫びをしたり、いろんなやり取りがあったが、
なんと、祖父の従姉妹さんがお嫁に行かれたお寺だったらしい。
「最初はお里を離れて、山の上でとても寂しかった。でもいろんな人が優しくしてくれた。」とお話されていたのを思い出した。
祖父と同じお里は、山を海側におりた漁師町。
とても明るく優しく溌剌とされていて、笑顔が素敵な女性だった。
私一人で通っている頃は、何も知らず、思い出頼りに登り、下山していたが、そんなご縁があったとは。
それ以来、多大なるご迷惑と、しらなかったご縁に、なんだか気恥ずかしくてあまり行けなくなってしまった。
いつか私も、人を助けて微笑むことができたり、何かの為に一人で里を出たりするようなことができるだろうか。
今はこんな脆弱な自分を見られたら、恥ずかしくて山にこだまするほど叫んでしまいそうだ。
それでもきっとそのお寺は、私のように日常のストレスから離れたかったり、癒やされたかったりする人たちのために、今も静かに穏やかに、そこにあってくれる。
変わらずそこにあって微笑みかけてくれるなんて、そんな天国、この世にあるんだな。
私は、現実で仏様に会うことなんてないと思ってるから、好き勝手に生きているのかもしれない。
街で突然仏様に会っても恥ずかしくないように生きとかなきゃ。
ピンポーン
「こんちは、宅配便です。…どう?最近、精進してる?」
なんて、Amaz〇n持って来るかもしれない。
だって、ジェットコースターも遣わされるんだから。