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自然主義(W. V. O. クワイン)

ソクラテス:本日は、20世紀を代表する哲学者の一人であり、論理実証主義を批判し、自然主義的な立場を強力に推し進めたウィラード・ヴァン・オーマン・クワインさんと対話を持ちたいと思います。クワインさん、お越しいただきありがとうございます。

クワイン:ソクラテスさん、招待していただき、光栄です。私の考えを理解してもらえるよう、精一杯説明させていただきます。

ソクラテス:クワインさんは、従来の論理実証主義の限界を超えて、科学的な方法そのものを哲学的探求の中心に置く自然主義を提唱されましたね。まず、クワインさんの自然主義の核心を教えていただけますか?

クワイン:はい、私の自然主義の核心は、哲学的な問いも科学的探求の一部であるという考えです。つまり、哲学は科学と同じ地平に立ち、科学的な証拠と方法に基づいて哲学的問題を解決すべきだと考えています。実験や観察を通じて得られる経験的な証拠に重きを置き、そこから論理的に推論することで、哲学的な真理に迫ることができると信じています。

ソクラテス:それは興味深い考え方ですね。しかし、哲学的な問いはしばしば経験的な証拠だけでは解決しがたい抽象的な問題を含みます。クワインさんの自然主義は、このような問題にどのように対処しますか?

クワイン:確かに、哲学的な問いは抽象的で難しいものが多いですが、私は全ての知識が経験から生じると考えています。たとえば、論理や数学のように抽象的な分野でも、それらの基礎となる直観は経験的なものから派生していると考えられます。したがって、私たちは科学的な探求を通じて、これらの分野における基本的な直観や前提を再評価し、検証することが可能です。科学的な方法は、単に物理的な現象を理解するためだけではなく、抽象的な哲学的問題にも光を当てることができるのです。

ソクラテス:クワインさんの言う「全ての知識が経験から生じる」という前提についてもう少し掘り下げてみたいのですが、この考えは、知識の根源に関するある種の経験論と言えるでしょうか?

クワイン:はい、私の考えは経験論に根ざしています。しかし、従来の経験論が個別の感覚経験に依存していたのに対し、私はより広い範囲の経験、特に科学的な実践全体を通じて得られる経験を重視しています。この点が、私の自然主義が従来の経験論と異なるところです。科学的な方法と経験を通じて、我々は世界についての知識を構築し、哲学的な問いにも答えることができると考えています。

ソクラテス:なるほど、科学的な経験を通じて哲学的問題にアプローチするというのは、まさに自然主義の精神を体現していると言えるでしょう。しかし、このアプローチは、科学が解明できないような、たとえば「善とは何か」といった倫理的な問題や、意識の本質のような問いにも適用できるのでしょうか?

クワイン:善や意識の本質のような問いに対しても、私は科学的なアプローチが有効であると考えています。たとえば、倫理に関しては、社会科学や神経科学の知見を通じて、人間の道徳的判断や行動がどのように生じるかを理解することができます。意識の問題についても、認知科学や神経科学の進歩によって、意識の働きやその生物学的基盤についての知識が深まっています。これらの科学的な探求は、哲学的な問いに新たな光を当て、従来の哲学的な議論を補完、あるいは再構築する可能性を秘めています。

ソクラテス:クワインさんの説明を伺うと、確かに科学的なアプローチが哲学的な問題解決に貢献する可能性は大いにあると感じます。しかし、科学の限界や仮定自体を問い直すことも哲学の重要な役割の一つです。科学的な方法や経験に依存することによる限界や危険はありませんか?

クワイン:その点については、科学的な探求もまた、自己批判的であるべきだと私は考えています。科学的な方法や理論が持つ限界や仮定を明確にし、常に検証を続けることが重要です。哲学は、このような科学的な自己批判を支援し、指導する役割を果たすことができます。科学と哲学は、互いに補完し合いながら、人類の知の進歩に貢献することができるのです。

ソクラテス:クワインさんとの対話を通じて、自然主義の立場が持つ魅力とその課題について深く考えさせられました。科学的な探求が哲学的問題解決に貢献する可能性を認めつつも、科学的なアプローチが全ての哲学的問題に適用可能であるか、また、科学そのものの限界をどのように捉え、超えていくかについては、引き続き慎重な考察が必要だと感じます。クワインさん、貴重なお話をありがとうございました。

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