BB21

 やってますねパリオリンピック。基本的に見ようとして見ません。その一番の理由は時間泥棒だからです。どっちかというとボーッとしてたいのです。ラジオはよく聴いてます。柔道女子の48キロの金メダル良かったね。そのことはあまり話題にならずに52キロのメダルを取れなかった子が話題になってる。おかしいマスコミやなぁ。それもちょっと気になることがあって、何かと言いますと、あの負けた試合は誤審だったとかなんとか。そういう発想が出てくるのが、如何ともし難く負け惜しみ満載の報道です。反則がどうとかなんとか。そういうことではなくて、審判の判定に異議を問う、ということがどういうことなのか掘り下げたいと思う。
 審判が見誤ったり見落としたりすることもあるでしょう。そういう事は問題ではありません。出された判定に不服を発するという事が重要なことなのです。今どきの若い賢い人などは試合の事実が重要でどうだったのかということを力説するでしょう。しかし、判定によって勝敗は決まり事実は消えてしまう。判定に不服があると訴える自分の意識はBB(ブラックボックス)で納得しようとはしない。ただ不満があって意識を動かして自分の感情を揺さぶる。その意識の記録は忘れることなくずっと脳の中に記録されるが思い出せないのに意識を支配する。
 判定に不満があるということはどういうことなのか。審判は全権がありルールブックであるからして判定に不満があり否定してしまうと試合が成立しなくなる。納得できずに受け入れられなければ、その競技で良い結果を出すのは難しくなるでしょう。
 そうなってくるとメンタルトレーニングの話になってくる。ちょっと前まで精神論や根性論が幅を利かせていた。そういうのは日本人は大好きでした。今はどうかわからないが報道やマスコミは大好きです。お涙頂戴なんて大好物です。親族を引っ張り出して感動話しをしてもらわなければ番組として成り立ちません。また、テレビの前の人々はそれをハンカチを手に観たいのです。感情に訴えた演出を選手にも要求します。だって数字取れるもん。意識を裏で動かしてるのは感情だから気持ちを喜ばせてあげないといけないからね。それとメダルも大事です。見栄えするメダルは無くてはならないアイテムです。選手も誇らしげに誇示します。黄門様の印籠の様に国民皆んながひれ伏します。20240804記

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