〇第48回議論「あしや部~芦屋市在住高校生市民活動プロジェクト」 (「公共」研究チーム)
第48回は、「公共研究チーム」より「あしや部~芦屋市在住高校生市民活動プロジェクト」といった題でご報告をいただきました。
あしや部とは2019年7月に設立され芦屋市在住の高校生による団体です。
報告者を含めた3人の先生がサポートされ様々な活動を行っています。
具体的には、市職員から再開発事業を学ぶ、飲食店のコロナ対策を知る、社会人へのインタビューなど社会を目の前にしてかかわっていく活動を行っています。
芦屋市の現状として、市内在住の高校生で、市内の高校に通う生徒は、わずか5%程度だそうです。
そのような現状を踏まえたうえであしや部としてのこだわりは、在住だからこその悩みを共有しながら街の大人と協働し緩い活動を通して居場所と出番の創出、また進路実現へとつなげてほしいという願いがあります。
今後は、中学生の募集を展望し、財源の確保などの課題解決に向けて活動していく見通しです。
【以下、議論】
ここにきている生徒自身は通っている学校をどう思っているのか?
→当初の狙いとしては学校に居場所のない生徒たちを呼び寄せてやりたかったがそうではなく、学校でも比較的活発な生徒たちが集まっている現状。今度の活動に生徒が来てくれるのか。そのような不安を毎度抱えている。
公立学校の先生とは特に生徒がいるということが当たり前のように感じていないか。生徒がいるということは本当にありがたいこと。
また、あしや部での経験で大きいのは「ありがとう」と面と向かって言われること。
そもそも、学校に優位性はあるのか。2.30年前ならあったかもしれないが今は優位性そのものに懐疑的である。学校が楽しいというのも、たまたまそこに仲良しの子ができてというところではないか。
学校には努力をしていくための仕掛けがたくさんある。
様々なモノがプライベート化していく中で、学校という存在はオフィシャルな存在。公共財的役割を果たしていると思う。
生徒たちがいて当たり前という感覚がどうしても教員の中にある。
生徒会にいろいろなことをゆだねてみて、教員は伴走者として見守り続けることが大切である。
教員は政治的中立性をたもっているのか。
自分の権力性を本当の意味で理解して本当に困っている人のことを理解しているのか。教員はどうしても経済的には困っていない人が多い。
だから、教員は「複数性」を持つことが大切である。
もし、自分が高校生の時このような活動があった時、参加していたかというとわからない。
相手のニーズを考えるのではなくて、生徒自身がしたいことを考えて、そこから社会参画をしていくという形だったらなにかしていたかもしれないなと振りかえる。
コーディネートしていく力が大切になってくるなと実感する。
また、学校が持つ優位性とは「強制力」ではないか。
教員自身は強制していることを自覚し,良し悪しを考え行動することが大切である。
行政と関わると、最終的なゴールが違うことがよくわかる。政治的に利用されているという側面もある。
参加者18名
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