女性アイドル、ことAKB48のファンは年齢層が全体的に高めで、かつ大半が男性である。たまにSNSで若い女子のファンを見かけると不思議な感覚になる。彼女もその一人だった。
ポムポムまゆゆ。文字通り“まゆゆ”こと渡辺麻友のファン。本名は美咲さん。2017年4月にTwitterアカウントを開設した当時は22歳だった。
そして職業は保育士。渡辺への想い溢れる“ポムポムまゆゆ”としてのツイートが大半を占める中で、保育士“美咲さん”としてのツイートも時折含まれていた。
また、Twitterをきっかけに多くのファンとの繋がりを持つことも出来た。ツイートのリプ欄にはコンスタントにファン友からの返信があった。
***
2017年6月17日、AKB48選抜総選挙開票の日。渡辺麻友は約15万票を集めたが、指原莉乃の24万票には遠く及ばず2位に終わった。渡辺が壇上のスピーチにて卒業を発表したのもこの日だった。
その1週間後、美咲さんは握手会に参加。もちろん渡辺のいるレーンへ。
美咲さんは渡辺本人に認知されるほどイベントに通い詰めていた。「卒業する日まで、握手会来る」――それが彼女の、渡辺と直接交わした最後の約束だった。
***
7月12日、美咲さんのツイートに突然“手術”の2文字。リプ欄には励ましのコメントが届いた。
美咲さんのツイートが再開したのは5日後だった。
まだ病名を明かしていないが、“来年の桜”という余命を想起させる不穏な言葉。その後も“点滴”“車椅子”“お粥”などの文字がツイートの随所に出てくる。
過酷な状況の中でも、美咲さんは毎日ツイートし続けた。闘病の記録を、赤裸々に。
***
8月。体重や髪の毛の減少を自覚し始めた頃、美咲さんは終活ノートと遺言書を書いた。友人たちはお金を出し合い、美咲さんにウィッグをプレゼントした。ツインテールを愛する彼女は、再び髪を2箇所、結わくことが出来た。
そして、支えてくれるのは友人だけでは無かった。
園児に先生、そして同じ病棟の女の子。リアルで見守ってくれる人たちに加え、リプやいいねの数も増え始めた。多くのAKBファンがネット越しに応援してくれている。そんな中、
渡辺の卒コンは10月31日、さいたまスーパーアリーナで開催されると発表された。2ヶ月半。あと2ヶ月半でその日は訪れる。
***
9月4日、美咲さん本人の口から初めて“末期のガン”であることが告げられた。
***
実は美咲さん、6月と8月にこんなツイートをしていた。
生きねば。亡くなった親友の分も。見守ってくれる全ての人の為に。
***
9月29日。間もなく入院から3ヶ月が経過しようとしていたある日、園児たちからダンスのプレゼントがあった。
そして5日後。
お遊戯会で金賞。園児たちの想いは一つだったのかもしれない。
しかし、それが美咲さんにとっての最後の吉報だった。
***
2017年10月20日、午前6時7分。
美咲さん……ポムポムまゆゆは、天国へと旅立った。
“最期まで生きる事を諦めず”――母親のその言葉が全てだった。
いつまで生きるかではなく、どう生き続けるか。
美咲さんはTwitterに闘病の記録を残した。一文字一文字が多くの読者の心に訴えかけた。その想いは、巡り巡って運営サイドに届くこととなった。
***
***
2022年10月20日。
今日でちょうど5年。
当時のツイートをリアルタイムで追いかけていた私としては、もう5年も経つのかと感慨に浸っている。ちなみに渡辺麻友が芸能界を華々しく引退したのも2年も前の話だ。時の流れは儚い。
人生は時間ではなく中身だと彼女は教えてくれた。私も“いつまで生きるか”ではなく、“どう生き続けるか”を考え、行動したい。