水道料金値上げに見る民主主義の問題点
おはようございます、とるねこです。
水道料金をふくめ、高度経済成長ですすめたインフラの設備更新がくるため、大幅な値上げになるとのことです。みなさん生活が大変くるしいかとおもいます。
そんな中、呑気にテレビのコメンテーターが、今まで頑張って安く価格を抑えてたから、値上げしてもしょうがない、払えない人が水道を享受できるシステムが必要、、、
、、、絶句しました。
絶対に自分は働きません。働いたら負けを体現しています。
民主主義では、いま、投票権wを有している愚民wを騙せば勝てるわけです。子供をふくめた将来世代が苦しもうが破滅しようが、どうでもいいわけです。子供を持たない人が多くなってるので、この流れはさらに加速していきます。
本来であれば、法定耐用年数で取り替えるようにしなければ、会計上おかしくなるわけです。
取り替えなければ、会計年度上は利益がでますが、それは将来への赤字をつけるのと同じなわけです。つまり、設備更新をふくめて、昔からもっと値上げしていなければならなかったのです。
しかし、公共料金の値上げは、それすなわち現市政の敗北となります。自分たちの失職をおそれ、ひたすら値上げを回避してきました。それがありとあらゆる組織でおきています。
値上げという痛みを伴うが理論的に正しいことは愚民の感情に敗北するのが民主主義なのです。
だから、民主主義は絶対に否定されるべきなのです。正しいのは、管理監視厳罰に基づく、科学と経済第一優先の、ゼロトレランスな専制独裁社会なのです。独裁でまったく問題ないのです、真面目に働いている人だけが幸せになれる正しい政策だけしてくれれば。
おわり