推しとファン

久しぶりに、部署が変わった上司と会った。その上司は私が桐山担であることも知っている上司で。その上司も、既婚者であるアイドルを昔から推している。
会って早々、上司は「元気?無理してない?」と私を心配してくれる言葉を言ってくれた。前からいろいろとお互いの推しについて話していたこともあるし、甘えるような形で桐山照史さんの結婚を通して感じたことを全部話した。
上司は相槌を打ちながら私の話を聞いてくれて。私が話終わると、ポツリと言葉をこぼした。

「昔より誰かを推しやすくなったけど、それと同時に推しにくさも感じるようになったね」

上司は、まだSNSが当たり前じゃない時から推しがいる。上司の推しは全盛期の時に結婚をして、その時も推しを批判する言葉は凄かったと言っていたが。今よりも目にする機会は少なかったとも言っていた。
今はSNSのおかげで、推しに関する情報を知りやすくなっていて。それと同時に知りたくない情報も知りやすくなっているのも事実で。上司はそこに、推しにくさを感じていると言っていた。

「ただね、SNSで見たくないものを見たとしても、ファンでいるための“自分の軸”が揺るがなければ案外大丈夫なものよ」

そう笑いながら上司は言っていた。

「いろんなアイドルがいて。いろんな考え方のファンがいて。アイドルにもファンにも正解なんてものはないから。だからこそ、自分の軸が大事なの」

私よりも長くアイドルを推している上司の言葉を聞いて、改めていろいろと考えることが出来た。

私が推しに求めるもの

上司と話してから、改めて私が推しに求めるものはなんだろうと考えてみた。
私は桐山照史さんが好き。好きだからといって、付き合いたいとも結婚したいとも1度も思ったことはなくて。桐山照史さんが幸せでいてくれたら、笑っていてくれたら、メンバーと楽しそうにしてくれていたら、やりたいと思ったことが出来ていれば。それだけで良かった。今もそう思っているし、他にも推しているアイドルがいるが、その推しにも同じように思っている。
もう少し簡単にまとめるとするなら、“推しがやりたいことをやること”が私が推しに求めていることだ。
やりたいことをやっていてくれれば、それだけでいい。正直な話、ファンのことなんて気にせずやってくれてもいいとさえ思う。

推しが推しらしく活動してくれるのなら、それだけでもう充分だ。

私が思うファンとしての軸

改めて“私が思うファンとしての軸”とは何かを考えた。軸=大切にしていることと思っていて。きっと人それぞれファンとして大切にしていることがあると思うが、私は“推しに期待をしない・希望を持たない”を大切にしている。
別に期待をすること・希望を持つことが間違いだとは思っていない。それは勝手にすればいいと思う。
ただ、期待が外れた・希望通りにいかなかった。その時の、自分の中に生まれた負の感情を自分で解決出来ればいいとは思う。ただ解決出来ずに推しにその負の感情をぶつけたくないから、私は期待もしないし希望も持たないようにしている。

ファンの形も人それぞれあって。その全てを理解することも、受け入れることも多分無理で。
推しがしていればなんでも楽しめるファンもいれば、推しが何をするまでが大切なファンもいて。
WEST.で例えると、私はWEST.がWEST.でいるならどんな曲を歌っていようが関係ないが。WEST.がキラキラとしたアイドルでいることを求めているファンはそうはいかない。ロック系の曲が発表されれば、キラキラとしたアイドル曲を歌わないWEST.に怒りをぶつけている。そうしたことはあまりしたくない。だからこそ、期待もしないし希望も持たない。その方が、結構気が楽になる。

そしてこの軸が私の中であるからこそ、私が推しに求めているものに繋がるかもしれない。期待もしないし希望も持たないから、その代わりにやりたいことをやっていてほしい。それが私の受け入れられるものであれば、全力で応援するし。受け入れられなければ、そっと離れる。それだけだ。


最後に

SNSを通して、まだまだ気持ちが揺らぐことがある。桐山照史さんを批判する波にのみ込まれそうになる時もあるけれど。桐山照史さんを推して後悔なんてしていない。

私は私らしく、私の思うファンとしての軸を大切にして桐山照史さんを推していこうと思う。



早く桐山照史さんに会いたいです。

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