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1984を読んで

1984   ジョージ・オーウェルの書いたディストピア小説の金字塔と呼ばれるこの本を読みました。今できる精一杯ですが、下手すぎる感想です。

そもそもこの本を読もうと思った経緯は、平沢進氏のBig  Brother を聞いて、この曲のもとネタの本である、本書を読んでみたくなったからである。
本を読んでいて、歌詞の内容と本の内容が一致していて感動した。元ネタだから当たり前


この本を読んだ時感じたのは第二部の終わり、つまりスミスとジュリアが捕まる直前から物語の展開の速さが上がることでしょう。それまでのゆったりとした、しかし党への反逆行為を行なっているので、一般の党員からすれば非日常である、日常パートから、第二部の終わりから第三部の終わりにかけて、思想警察に逮捕され、愛情省で監禁され、101号室でジュリアを裏切るまでの展開の速さ、世界に引き込む力は凄まじいと感じる。

この本を読むのは二回目で、前読んだ時よりも少し物語への解像度が上がった気がする。

さて、物語において疑問に思ったのが、戦争する兵士は一体どこの身分なのだろうか?

プロレなのだろうか?オブライエンが作ったと言う、少数独裁制生産主義の理論と実践によればそもそもこの本の内容が正しいとは限らないが、党中軸は、オセアニアの人口の約2%、600万人がいるとされる。そして、プロレと呼ばれる、工場で働く党員ではない下層に位置する、所謂ブルーカラーと呼ばれる人々、は85%いるらしい。そこから計算するなら、約13%が党外核であり、ざっと3600万人程度いる計算になる。また、党のいずれかの部門、おそらく平和省も含まれるに入るには、試験を受ける必要があるとあり、また兵士は高度に訓練された専門家とあるように、きちんと訓練された職業軍人であると考えられる。また、合同体操の女性指導員が、前線で戦う特権などと言っていると言うことなどから推測するに、戦場でどのように監視するかはおいておくとして、兵士は党員であると考えられる。

また、上記の本から、党は別に全人の平等などは頭の片隅にもないと言うことだろう。党幹部などは、子供向けの歴史の教科書に載っている昔の貴族のように綺麗な家に住み、召使がおり、主人公が今まで見たことのないような物を飲み食いしていることからもわかる。オブライエンの言うように、個を捨てて、党と一体化するほど、自己のアイデンティティーを捨て、専念することで不滅になる。純粋たる権力、ここでいう権力とは人の精神を党の思い通りに作り変える力であり、人を支配する力なのである。戦争は平和なりとは、戦争をすることで、国民の政府や、日々の鬱憤を的敵国へと逸らすことや、存在しないかもしれないゴールドスタインに対する怒りの感情により逸らす狙いがある。ジュリアが言ったように、ロンドンへ落ちてくる爆弾なども、敵国への憎悪を掻き立てるために党が演出しているだけなのかもしれない。

また、一つ疑問なのが、日記が見られたか確認するために、埃を乗せておくほど疑い深い人物が、易々と、チャリントンを信用したことだろう。テレスコープの値段を知っていること、またどのようにして収入を得て暮らしているのかなど、様々な疑問が湧いてくる。最初の頃は、あまり信用していなかったが、すんなりと信用しているところが気になる。自分の信じたいと思ったものは簡単に信じてしまうと言うことなのだろうか。疑っていたことを忘れる、本人の意図しない二重思考なのかもしれない。

第三部の最後、ウィンストンは自分自身に勝利したのである。 とある。これについて、勝利を伝えるニュースを聞くまで、スミスはまだ心のどこかで党は不完全で、敗北するものであると考えていた。しかし、オセアニア負けると思っていた状況から勝ってしまい、その事実がスミスの党に対する不信感をもつ心を折り切り、自身の思う勝利しかない偉大で完璧な党に屈服してしまったのだろう。そして偶像としてのビッグ・ブラザーに屈服した。
そのニュースが捏造されたものであるのかもしれない。もちろんそれを証明することができない。だからそう信じるしかない。
何も信じられなくなった時、人は強く、そして自らを認めてくれるものに縋ってしまうのだろう。


また読み直し、熟考し、良い感想に仕上げ直したいです。

会社はある意味 全体主義国家みたいだなと思ったり。

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