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「ペクトラジ改」第2章:剛との出合い
山田家は、下関市失業対策事務所の一室に宿泊を許可されていた。
父親の金一は土方作業、
母親の明子は、事務所員の
お茶くみをして、生計を
立てていた。
一人息子の剛は、まだ小学校に上がりたてである。
剛は父親が「強い力を持っていないと愛する家族は守れない」という願いを込めて命名した。
ところが名前とは真逆で
剛は虚弱児だった。
父の金一は大分の生まれで、母の明子は博多の生まれである。
下関は山口県なので言語は下関弁であるが、山田家の家庭内では大分弁と博多弁が使われた。
剛は下関弁が喋れない。
これだけの条件が揃えば
剛はみんなから仲間外れにされ
学校では苛めの対象となり、登校拒否を繰り返していた。
学校側としては問題児扱いである。
ある日のこと、剛が学校をさぼって、事務所の敷地内をさまよっていると、水溜め場のようなものを見つけた。
そこには水道の蛇口が10個程輪になって並んでいた。
そこに子ども連れのおばさん達がやって来て洗濯を始めた。
剛が驚いたのは、その洗濯方法だった。
普通、洗濯といえば、桶と洗濯板を使うのであるが、そのおばさん達は衣類を足で踏みつけて、何か訳の解らない歌を歌いながら、足踏みを続けた。
そのうち、衣類をすすぎ、板にバンバン打ち付けてしぼりあげた。
一連の洗濯作業が終わると
突然、衣類を脱ぐと、おばさん達は素っ裸になり、行水を始めた。
そばにいた子ども達もそれに続いた。
剛にとって、それは衝撃的で心ときめく「母親以外のヌード見物体験」であった。
行水が終わると、おばさん達は、白い木綿の布を身につけ、胸のあたりで帯を締め、
足が隠れるほど長い服からチョッピリはみ出した足に、ビニール製の白い足の先が上に反り返った靴を履いた。
そして、大きな籠に洗濯物を入れ、その籠を頭に載せて歩き始めた。
剛の胸は好奇心でいっぱいとなり、一行の後についていった。
着いた先は、100m先の桜幼稚園のフェンスぎわに建てられた小さなバラック建ての集落だった。
おばさん達はそれぞれの自宅に消えた。
剛はその一軒の玄関先にボンヤリ佇んでいた。
そこに一人の少女がひょっこり顔を出した。
髪の長い一重瞼のキリッとした顔立ちをしている。
少女は涼しい眼となり、にっこり笑うと剛に手招きをした。
おばさんも別段止めだてする様子もなかったので、剛は家の中に上がりこんだ。
そのうち、隣の少女と少年が遊びにきて、4人ではしゃぎ始めた。
剛は家の中で、騒ごうが、かけ回ろうが誰も怒らない。
そんな光景を見つめ、おばさんは優しい目つきで眺め、
笑顔を絶やさなかった。
学校ではいじめられっ子の剛にとって、ここはまるで別世界の天国のように感じた。
少女が5歳、剛が6歳の頃で
剛とパク家の出合いである。
続く
トップ画像はチェジュ島に行ったときに撮影した礼服である。
勿論、このようなカラフルで豪華な衣装ではなく、白い木綿の民族衣装である。
下関の地にあっても韓国人は日本の衣装を着ることはなく、必ず韓国の民族衣装を着用した。
男は作業をしなければならないため、作業服を着用していた。