ハロウィン
昭和の子ども時代、ハロウィンの習慣はありませんでした。
いつの頃から始まったのかはわかりかねますが、今ではここ田舎町から、東京の渋谷まで若者達が大挙して出かけ
はしゃいでいるようです。
田舎町では、ハロウィンの習慣はありません。
山間部の田舎の田舎ではわかりかねますが、特に私達団地族には経験のないことです。
団地族は地域に対して閉鎖的で、子ども達がご近所さんにハロウィンで訪ねようものなら、下手すると警察に通報されますね。
地域で子ども達を受け入れる体制が整備されていないのです。
田舎町のハロウィンは、せいぜい、家庭内でホームパーティーを開く程度でしょうか。
下関の子ども時代、子ども達や町内に根付いた習慣がありました。
「お年玉ツアー」です。
これは、お正月に子ども達が訪問してくれるとその家は縁起が良く、栄えるということで、子ども達に5円が入ったポチ袋を配っていました。
当時の5円はちょっとしたお小遣いで
駄菓子屋さんで、大きな飴玉が買えたり、5円クジがひけたり、子ども達にとっては良いお小遣いなのです。
10軒も回ると、50円という大金がゲットできました。
しかし、子ども達は「縄張り」という
仁義を心得ていました。
それ以上広くまわると、他の子どもの縄張りを荒らすことになるのですね。
子ども達の縄張りはだいたい10軒程度と限られていました。
「お年玉ツアー」の習慣は、せいぜい小学生までで、中学生ともなると消えていたようで、昭和60年頃には、その風習は消滅したようです。
この「お年玉ツアー」が、下関地内の
「ハロウィン」の先駆けのような気がしてなりません。
ただし、他の地域ではわかりかねます。
少なくとも、妻の生家「板橋」では
無かったと聞いています。
むかしの「お年玉ツアー」が、「ハロウィン」という形に代わり、アメリカから日本に上陸し、今や日本の一部の若者達の間でフィーバーしているのかも知れませんね。
おしまい