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肺結核入院体験記


記憶が薄いのですが37年前程度だったと思います。
会社の健康診断のレントゲン検査で、肺に薄い影があるという事で、精密検査をしていただきました。
その結果、「肺結核」と診断されて、入院を余儀なくされました。
軽い肺結核なので、全治3〜4ヶ月だったと記憶しています。

8人収容する大部屋でした。
大部屋には必ずボスがいるもので、
ボスの命令は絶対です。
9時の就寝時間ともなり、イビキをかく人が居ようものなら、ボスの命令で
数人でベッドを蹴飛ばして、彼を寝せません。
昼間に軽い散歩もボスがリーダーとなり、集団行動です。

一日3食と軽い集団散歩と時間制入浴以外は、ただただ安静にするだけですね。

娯楽室にはテレビが置いてあり、皆で大河ドラマを楽しみました。
「独眼竜政宗」の正室の幼少期
「後藤久美子」に皆、心ときめかせたものです。
「こんな美しく可愛らしい姫様は初めてだ〜。」

大部屋ともなると、各人、治療法が異なります。
私は軽いので、安静と栄養と軽い抗生剤の飲用で済みましたが、重症の人は
1日3回のストレプトマイシンの注射
投与で対応していました。
当時はペニシリンは効果が薄く、ストレプトマイシンが最強だったようです。

夜は睡眠時間ですが、昼間はもっぱら読書時間です。
私は、仕事の本を大量に持ってきて貰い、ひたすら仕事の勉強をしました。
社会復帰した場合、実務に支障をきたさないようにしたのですね。
設計コンサルタントは常に勉学が必要でしたから、時間は有り余るほどありました。

数人で話題に上がったのが
「生活保護を受給する方法」という
マニュアルです。
「地域の民生委員と仲良くしなさい。」とか、様々なマニュアルが記載されていたようです。
つまり、彼らには、社会復帰する気持ちは更々無かったのですね。
これは、重症者に当てはまるもので
通常は退院後、社会復帰したようです。

まだ、肺結核が「不治の病に近い」
時代の物語です。

現在は、その病院は、無くなりましたが、世の中には、まだ肺結核患者が存在するようです。
先進国に比べ、まだまだ日本は、
「中まん延国」だそうです。


もしかすると、肺結核はコロナより怖い病なのかも知れませんね。




              完