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「ペクトラジ改」第4章:山田家の生活の変化と部落の移転
山田家は、代々、大分の大地主で、金一は12人兄弟の嫡男として産まれた。
幼い頃から、文武は叩き込まれ、算盤・書道・柔道・剣道は特に得意だった。
嫡男だけは旧制高校に進学できた。
次男以下はゴミ扱いである。
そんな噂を聞きつけた事務所の所長が、その実力を試してみた。
所長は、書道道具と事務帳簿を金一に差し出した。
金一は所長の目の前で、書道の腕を披露し、分厚い帳簿の数字を算盤でたちまちのうちにはじき出した。
これには所長も驚き
「これ程の人物を土方にしておくのは惜しい。」
それから数日後、金一は失業対策事務所の凖職員として
迎えられることとなる。
土方生活から一転して
下関市役所凖公務員となり
生活は安定した。
その後、剛は、高等学校に進学出来ることとなった。
一方、パク家のほうであるが
即刻バラックは解体されることになった。
下関市も、いつまでも部落を放置しておく訳にもいかず、
行政の指導で、わりと近い位置に、長屋を用意した。
これで「住」は安定した。
残るは「職」である。
パク家は元々、裕福な層で
地元では有名であった。
しかし、実家はもう無い。
父母は明るく、実直な性格で
愛すべき性格であった。
下関は、昔から在日韓国人が住み、一大コリアンタウンを形成していた。
在日韓国人が経営する食堂に面接したところ、パク家の
人格に惚れ込んだ店主は
即座に採用を決めた。
これで、パク家は経済的に安定して、娘も朝鮮学校に行くことが許された。
やはり、距離が遠くなると
二人が逢う機会も少なくなる。
しかし、ヨドセは、月に2回程度、逢いに来てくれた。
待ち合わせ場所は、練兵場の近くの公園で、木陰もあり、
当時としては珍しく、丸太のベンチのようなものがあった。
学校が休みの日曜日が、デートの日であった。
二人の間で呼びあうときはは、本名ではなく、いつまでも「オッパ」「ヨドセ」であった。
続く