469連投記念「四六のガマ」
今日で、469日連続投稿です。
今回の記事は、469連投記念として
四六のガマです。
私が中学生時代(1960年頃)、下関駅前には、大勢の傷痍軍人が集まり、アコーディオンを弾いたり、ハーモニカを吹いたりして、通行人から寄付を募っていました。
その他、バナナのたたき売りやガマの油売りなどの、テキ屋が集合していたのですね。
その中で、ガマの油売りの口上が面白くて聞き入っていました。
ガマの油は、傷に対する特効薬らしいのです。
「筑波山麓四六のガマを鏡の箱に閉じ込めると、おのが醜き姿に、たら〜リたら〜リと脂汗を流す。その汗を煮詰めたものが、このガマの油なり。」
と言うなり、左腕を伸ばし、日本刀でスパッと切ると、たちまち血が流れます。
そこで、ガマの油をちょいとぬれば
たちまち傷口が塞がり、血が止まります。
「さあ〜、この万能薬を一つ500円でどうだあ〜。」
と叫ぶと、即座に
「買った〜!」と4〜5人が500円を、支払います。
実は、これは、仲間のサクラなのですね。
それにつられて、次々と客がガマの油を買い出します。
父は、私の耳元で、そっと囁きました。
「これは詐欺だから買ってはならないぞ、傷口は、毎回同じところを切るため、すぐ塞がるようになっとる。」
当時の父の月給は、5〜6千円だったので、500円は当時としては、ものすごく高価なものだったのですね。
そうして、私は、ガマの油売りの口上だけ楽しんで帰ることとなりました。
余談になりますが、傷痍軍人の哀れな姿をみて、
「父ちゃん、10円あげたいよ。」
といったところ、
父は、「あいつ等は働く気も無く、こうして人の情けにすがって生きるクズばかりだぞ。」といいながら、仕方なく私の手に10円を渡しました。
杖をつき、片足立ちで、白装束を身にまとって、箱を首からぶら下げた一人に向かい
「軍人さんありがとう。」といいながら、10円を募金箱に入れると、
涙を流しながら
「坊ちゃん、ありがとう。」
こうした下関駅前の光景は、私が高校生の頃には、姿を消しました。
おしまい