写真部1
大学の新入生は、様々なクラブ活動に勧誘されます。
学校側も、有意義な学生生活を送るために、部活を奨励しました。
私は「写真部」の受付の前に立ちました。
「そこの新入生、写真部に入らないか?」
「僕はカメラ持っていません。」
「カメラなんか無くても良かバイ、カメラなら先輩が3台も4台も持っとるから先輩から借りれば良かバイ。」
「クラブ活動費とかあるんですか?」
「部費は月に500円で、あとはフィルム代と印画紙代くらいかな?。写真の引き伸ばし機は部に備え付けてあるし、現像液や定着液は先輩のを使えば良かバイ。とにかく2〜3日体験入部してみんしゃい。」
父に相談すると、「出来る限り援助するから青春の思い出にやってみなさい。」
と言うことで、体験入部の後、正式に入部しました。
父が、「先輩からカメラを借りるのは気が引けるだろうから、中古カメラの安いやつを買ってやる。」
それで手にしたのが、ミノルタSR1です。
ニコンやキャノンが有名な中、ミノルタも評判は悪くなかったのですね。
それに、ニコンやキャノンは高くて買えません。
当時は、内蔵露出計も無く、セコニックの露出計があるにはあったのですが、これは当時としては贅沢品でした。
どうやって、シャッター速度と絞りを決めるかというと、天候が晴れの場合、曇りの場合、昼間、夕方、などと様々なシーンでシャッター速度と絞りの組み合わせを丸暗記していました。
当時のモノクロフィルムはラチチュードが広く、3絞りくらい狂っても、印画紙の処理でどうにでもなりました。
露光オーバーの場合は早めに現像液から停止液に移します。
露光不足の場合は、現像液に長くつけるだけでなく、ドライヤーで加熱して、現像を強制的に増幅させたりしていました。
しかし、やはり「適正露光」にはかないません。たびたび先輩から、セコニックの露出計を借りました。
先輩が持っていた、ニコンやキャノンの高級機には、露出計が内蔵されていたものがあるにはあったのですが、まだまだ高級機のみの装備で一般的ではなかったようです。
モノクロのフィルム代も結構値がはり、経済的に負担となったのですが、先輩がコダックの長尺フィルムを空のパトローネに詰めてくれて、格安で譲っていただきました。
ところが、月に1回「モデル撮影会」があり
その参加費用も徴収されました。
そして、月例会にはキャビネ以上のかなり高い印画紙を使わなければならないので、これも経済的に負担でした。
「うわ〜話が違っちょる、写真部は金持ちの道楽息子が集まるところで、貧乏人の入る所じゃない!」
続く