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「ペクトラジ改」第3章:練兵場


「遊び場は練兵場」


南北朝鮮は、北は「朝鮮民主主義人民共和国」
南は「大韓民国」が正式な呼称であるが、それぞれ略して「北朝鮮」「韓国」と呼ぶのが通例である。

ところが、下関では、どちらも分けることなく、「朝鮮」
と呼んでいた。
したがって、実際には「韓国部落に住む韓国人」であるが
「朝鮮部落に住む朝鮮人」
と呼んだ。

そして、下関では、朝鮮人に
対する差別が激しく、ましてや部落のような不衛生な場所には誰も近寄らない。

そんな中、剛は明子の静止を
振り切り、平気で部落に行き
子ども達と遊ぶ。

そのような交流を重ね、剛は
パク家の息子並みの待遇を受けることとなった。

韓国では通常、肉親以外の呼称で、「オッパ(お兄さん)」
「ヨドンセン(妹)」という言葉は使わない。

剛は身内の兄弟として迎え入れられたため、少女は剛を
「オッパ」と呼んだ。
剛は言葉が上手く聞き取れなかったと見えて、少女を
「ヨドセ」と呼んだ。

パク家から見て、西側が失業対策事務所で、その少し向こうに、広大な練兵場があった。
至近距離である。
そこで部落の子ども達はあそんだ。

剛はヨドセをヒョイとビンビク(肩車)して走り回った。

儒教社会において、年上は
絶対的な権威をもつ。
ビンビクも上に乗るのは年上である。

これも、兄妹扱いの所以であろう、ヨドセも気兼ねなく楽しそうに、ビンビクにのった。

「練兵場の秋」


秋の練兵場は、雑草でいっぱいになる。

草刈りは比較的軽作業なので女性人夫の担当となり、そのほとんどが韓国部落の女性に充てられた。

部落民総動員となるため、部落に子ども達を残しておくわけにはいかず、子ども達は草刈りのそばで遊んでいた。

ヨドセもそばについていたが
剛も仲間に加わっていた。

草刈りが終わると、5〜6箇所に集め、大きな草の山ができる。
その山は草が完全に枯れるまで、2週間程度放置される。
そして、完全に枯れると火をつけて焼き尽くす。
これも女性人夫の仕事である。

簡単な作業なので、手当は極めて少ない。
そのかわり、焼き芋を作る材料の薩摩芋が支給された。

火が少しでも残っていると
芋は黒焦げになるので、
完全に灰になるまで待って
芋を入れ、余熱でじっくり焼き上げる。

焼き芋が出来上がると、子ども達も交え、全員で焼き芋をほおばる。

薩摩芋は本場の鹿児島産で、
しかも草の灰で焼いたものなので、その香りが何とも言えない、とびきりの贅沢品であった。



「練兵場の春」


パク家との出合いから2年が経過した。

練兵場は地覆がクローバーで敷き詰められていて、春ともなると、練兵場一面にクローバーの花で満たされる。

剛はクローバーの花を摘み
母親の明子から教わった花冠を作り始めた。
剛はこのようなことは得意で
花冠は見事な出来ばえだった。

その花冠を、ヨドセの頭にかぶせた。

少女のキリリとした目はほころび、あたりをピョンピョン駆け回りながら、嬉しそうに歌った。

「トラジ・トラジ・ペクトラジ〜。」

「ヨドセ〜、それは何ちゅう歌じゃ〜。?」

「オッパ〜、トラジちゅう歌じゃ〜、大切な花飾りじゃ〜、うちの母さんがそう言うちょった。」

そして、今度は部落の子ども達全員で、その歌を歌いながら、輪になって踊り始めた。


少女が7歳。剛が8歳のことである。


          続く