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山田金一物語:第5章:管理人室から退去〜観光課勤務


金一は真面目に働き、僅か
3年で、正職員の座を勝ち取った。

その直後、事件が発生した。

夜中に見守りをしていた時、
事務所の一角に紙や木が積まれ、ボヤが発生した。
放火未遂である。

金一は即座に火を消し止めた。

そして、所長が出勤時間に
その件を報告した。

所長は下関市役所本部に連絡し、結果を待つこととした。

本部の回答は
「警備の不備。警備人は管理室から退去せよ。」

山田家は失業対策事務所の管理室から退去しなくてはならなくなった。

事務所は、山の口町にある
安い下関市営住宅を斡旋してくれた。

金一は失業対策事務所勤務から、唐戸の近くにある、下関市役所本庁の観光課に転属させられた。

山の口町から、唐戸はかなり
遠いので、当時走っていた路面電車に乗り、通勤した。
路面電車は下関では
チンチン電車と呼んでいた。

明子は山の口町から事務所まで徒歩で通い、お茶くみの仕事は続ける事ができた。


下関市は当時、一大観光地で
「源平船合戦」や「先帝祭」
が行われていた。

赤間神宮で開催される「先帝祭」は特に有名である。

源平合戦で破れ、入水自殺をした、安徳天皇を祀る赤間神宮で、毎年、先帝祭が行なわれる。

破れた平家の女官たちは、生活のため女郎に身を落とした。
これを不憫に思ったご贔屓衆が集まり、昔の栄華を偲ぶため、年に一度、赤間神宮で昔の女官たちの派手な衣装を着て、舞台を巡り、披露するのである。


金一は観光案内係を命じられた。
日本人相手であれば、マニュアル通り説明すれば良いのだが、ある日、著名なアメリカ人が訪れた。

金一に先帝祭の案内をしろという命令が下った。

しかし、金一は英語がわからない。
無理もない。
戦争中は英語は敵国語として
使用禁止されていた。

先帝祭の舞台が進行していく。

「What is This?」「―――」

太夫がきらびやかな衣装で登場。

「What is This?」「―――」

太夫が着物の裾を振りながら舞台を歩く。

「What is This?」「―――」

太夫が着物を大股でヒラリとふると、赤い腰巻きがあらわれる。

「What is This?」「―――」

遂にアメリカ人は怒りだした。

「What! is ! This!!!」

これには金一はたまらず
大声で答えた。

「コシマキヒラヒ〜ラ!」

「What's!Koshimaki hirahira?」

アメリカのお客様は、あ然として、それから口を聞かなくなった。

これが、当時、観光課で有名になった、
「腰巻きヒラヒラ事件」
である。

当時は許せたが、今では国際問題まで発展しかねない
公務員の失態である。


金一は、それから英語の勉強に励む事となった。

朝早く起き、英語の辞書と首っ引きで、英語の単語を暗記した。

日曜日となると、アメリカ映画を、手弁当をさげて、映画館に通った。
勿論、字幕のアメリカ映画である。

当時の映画館は、入れ替え無しで、何度でも同じ映画を見る事ができた。

最初の1回目は、字幕を見て
映画のストーリーをたたき込んだ。

2回目は目を閉じて、台詞だけ聞き、意味を掴もうとした。
しかし、2回目では不十分である。

しかし、3回目ともなると
大体、台詞の内容がつかめた。

其のような努力を半年も続けると、完全に理解するまで
語学力が身についた。

あとは、実践会話である。

当時、下関の岸壁には、アメリカの駆逐艦が寄港していた。
そして、水兵たちが休憩に上陸してきた。
その水兵を捕まえで、会話の相手をしてもらったのである。
水兵も喜んで相手をしてくれた。

会話の回数を重ねるにつけ
ついに金一は英会話を身につけたのである。


その後、アメリカからのお客様が訪れた時、金一は観光案内の役割を十分に果すこととなった。




          続く