山田金一余話:「韓国船船長とすき焼きパーティー」


余話は思いつきで書いているので、年代順では無い。


港湾課時代


金一と韓国漁船の船長は、仲よしになり、漁船が寄港する度に、二人は近くの安い酒場に飲みに行き、親交を深めていった。

時折、お土産に、韓国の明太子を持参してくれた。

金一は、博多時代に辛子明太子は経験があるが、本場の韓国明太子は初めてである。

金一は、そのお土産を、自宅に持って帰り、一家三人で、おかずにするわけだが、明子もその美味しさに舌を巻いた。
剛は、初体験の味に感激した。

そのような交流が続き、ある日、金一は船長に、自宅に来ていただいて、すき焼きパーティーに誘った。

船長は、大喜びして、酒を一升びんかかえて山の口の市営住宅まで金一と共にやってきた。

下関は魚介類はとても安いのだが、肉類は高い。

地方公務員の給料では、牛肉は高すぎて無理なので、豚肉であった。
それでも、下関では、豚肉は高級品であった。
金一は、精一杯のご馳走を振る舞ったのである。

食事中の会話は、金一と船長と二人の間では、韓国語であった。
明子は韓国語は全くわからない。
剛は、韓国部落の少女との付き合いで、多少聞き慣れていたので、何となくわかる。

明子は不機嫌であった。

宴会も終わり、船長が帰ったあと、明子は金一に告げた。

「大嫌いな朝鮮人を二度と連れてこないで。」

金一は差別しなかったが
明子は人種差別主義者であった。

その後は、金一と船長は、いつもの安酒場で飲むこととなった。


      この余話 完