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ヒトリシズカ(一人静)


ヒトリシズカの花言葉は「隠された美」「愛にこたえて」「静謐(せいひつ)」です。

【花言葉の由来】

ヒトリシズカは、人目につかない木陰などで控えめに咲く姿が表現されています。

控えめながらも確かな存在感を放つその性質から、誠実な愛情の応答を表現しています。

まだ人が山に入らない頃にひっそりと花を咲かせ、人知れず散っていく様子が、静御前の悲劇的な恋と、美しい舞姿を連想させることから、このような花言葉が付けられたとされています。



「静御前」(以下WIKIによる)

静御前(しずかごぜん、生没年不詳)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の女性白拍子。
母は白拍子の磯禅師。
源義経の妾。

『吾妻鏡』によれば、源平合戦後、兄の源頼朝と対立した義経が京を落ちて九州へ向かう際に同行するが、義経の船団は嵐に遭難して岸へ戻される。吉野で義経と別れ京へ戻った。しかし途中で従者に持ち物を奪われ山中をさまよっていた時に、山僧に捕らえられ京の北条時政に引き渡され、文治2年(1186年)3月に母の磯禅師とともに鎌倉に送られる。
同年4月8日、静は頼朝に鶴岡八幡宮社前で白拍子の舞を命じられた。静は、

しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな

(倭文(しず)の布を織る麻糸をまるく巻いた苧(お)だまきから糸が繰り出されるように、たえず繰り返しつつ、どうか昔を今にする方法があったなら)

吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき

(吉野山の峰の白雪を踏み分けて姿を隠していったあの人(義経)のあとが恋しい)

と義経を慕う歌を唄い、頼朝を激怒させるが、妻の北条政子が「私が御前の立場であっても、あの様に謡うでしょう」と取り成して命を助けた。
『吾妻鏡』では、静の舞の場面を「誠にこれ社壇の壮観、梁塵(りょうじん)ほとんど動くべし、上下みな興感を催す」と絶賛している。


私は庭に、ヒトリシズカを植えていました。
目立たないけど、爽やかな舞姿でした。
まさに、静御前が一人でひっそりと舞う姿に清楚な感銘を受けたものです。
ヒトリシズカは結構増えました。
30株位に増えたのですが、近所の奥さんが欲しいと仰ったもので、半数を株分けして差し上げました。

その後、奥さんの庭では、環境があったのか、どんどん増えて行きました。

私の庭のヒトリシズカは勢いを失い、
いつの間にか消えてしまいました。
ヒトリシズカは奥さんの庭という安住の地を見つけたようで、我が家から一人残らず、静かに去って行きました。




                完