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意味ある文章を書くということ

 私の職場では、毎週水曜日にゴミを捨てるのだが、その際に各自分担してゴミ袋の処理をする。処理と言っても、事務所内にあるゴミ箱からゴミを持ってきたり、ゴミ袋にどこの会社が捨てたものかわかるようにシールを貼ったりと、正直1人でできるようなことなのだが、一応それを分担している。その後ゴミ捨て場に捨てに行くが、それは私の専任になっている。

 今日もその日なのだが、運悪く上司の他に私と教育係しかおらず、これは分担に揉めるぞと思っていた。ところが、私がさあゴミ袋の処理しようと思ったら、既に処理されたゴミ袋を私の机の後ろに投げ捨てられているという有様で、思わず笑ってしまった。余程私と話したくないと見える。私も口など聞きたくないので問題ないが、せめて意思疎通くらいはして欲しいものである。

 平日にnoteに文章を書くということをしばらくやってきて、どのくらい経ったのかわからないが、少なくとも順調に続いている。note自体は去年の6月から始めているので、なんだかんだで一年以上何かしらを書いている訳で、間が空いたこともあったとはいえ、よく続いているものである。

 平日の仕事上がり、帰りの電車の中で書くということをし始めてからは、グッと習慣になったと思う。何時から何時というようなものではなく、電車に乗って帰るという毎日行う動きに紐づけているのが大きいのだろう。こういった形で習慣化するコツを掴めれば良いのだが、他に紐付けやすい普段やるようなことが思い当たらないので、それについては検討しなければならない。

 さておき、この習慣化のおかげで、文章を書くということに対して慣れが生じているのは間違いないだろう。瞬発力があがったとも言えるだろうか。始めた頃はnote一つに対して500文字を目安にしており、1000文字、1500文字と増やしていって、現在は2000文字を目安にして書くことができるくらいには、文章を書くということに慣れてきている。

 先のマルチコミュニティ潜入記録は、元々一つの記事にしようと思っていたのに、書きたいことがあり過ぎるのと、筆が乗ったおかげで、総文字数10000字前後、4つに分割するほど大長編になってしまった訳だが、それくらいの文章が書けるようになったということである。500字の頃に比べれば大きな成長だろう。現在目標の2000文字は長すぎて、帰りの電車の中では書ききれずに家に帰ってから書き足したりすることもあるのだが、少なくともコンスタントにそれだけの長さの文章を出力することができている。

 ただ、これはあくまで日記、駄文と言うべきものであり、その場その場で適当に書き散らしているだけの文章構成もへったくれもない文字の羅列に過ぎない。所詮は覚え書きにすぎず、意味ある文章、何かを伝える文章にはなり得ていないということである。はたしてそれでいいものか。もちろん量を出力するのは必要だが、それは身になる行いなのか。文章を書き散らすことに実利など求めるべきではないというのは重重承知なのだが、そう思わざるを得ないことに今直面しているのである。

 現在、私は何かと文章を書かなければならない状況に直面している。趣味でやっているTRPGのゲームマスターをやることになり、それに際してシナリオを書かなければならないのだ。それも2つ。1つは私がやりたかったものであり、私が企画したものなのだが、もう1つは知り合いからGMをぶん投げられるという事態で発生したものである。こんなことがあるとはと言わざるを得ない。

 それ以外にも、X(旧Twitter)にふせったーを使ってあがっているような映画やドラマの感想文を書きたいという思いもある。元々私はそういうことをするタイプではなく、自分の中で感想をとどめておく人間だったことに加え、周囲の人と見ている作品の傾向が異なる為、そういった文章を書いても仕方がないというところがずっとあった。しかし、最近共通で見るようになった作品があったこと、そして対面で話した私の考察が何かと評価されることがあった為、書いてみたくなったのである。承認欲求を満たしたいのだ。

 しかし、TRPGのシナリオにしろ、映画ドラマの感想考察にしろ、それらは今ここに書いている駄文とは違う。今私は前後の流れなど深く考えず、ただ思いつくままにスマホのキーボードを連打しているが、先にあげた2つに関しては、内容を吟味した上で書かなければならない。実際、先の内容について書こうとして、パソコンの前に座ったこともあるし、思いつくままにキーボードを叩いてみたりもするのだが、中々出力が上手くいかないのである。はっきりとした目的のある文章を私はすんなりと書くことができない。

 突き詰めれば、これも訓練をするしかない。何度も文章を書くことで、2000字という文字数を書くことができるようになったように、意識しつつ繰り返し書くことで筋道立った文章を書くことができるようになるはずだ。だが、中々うまくいかない。以前映画のレビュー文章など書いたが、私の書いたそれの質はさておき、ああいった種類の文章をすんなりと書けるようになりたい訳である。しかし、きっとそういった文章仕事は帰りの電車の中で思いつくままに書くのではなく、しっかりとプロットを作って書くべきなのだろう。文章を書くということについても、次の段階に進まなければならない。

 さておき、現在直面している文章の作成については、早急に対応しなければならない。どうしても考えていることを出力できずに、無駄に時間だけがすぎてしまうことが多い。今日こそは、何かしら形にしなければならない。

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