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愛想笑いは怖い笑い

 寒い時期になってきた。となると、食べたくなるのが鍋物である。食事には無頓着な私であるが、それでも好きな食べ物はある訳で、鍋物はその中の一つである。一人用の鍋で鍋物のスープの素と肉、野菜、豆腐をぶち込み煮込めばすぐに食べられる。スープの素を変えれば味変も簡単で、満足感も高い。なのでこの時期は少しだけ食事が楽しみになったりするのだが、どうやらそれは誰もが同じらしい。丁度10月に入ってから、スーパーでそのままズバリ「鍋用野菜」という、そのまま鍋物に叩き込める野菜セットが販売されるのだが、これがいつも品切れである。思い返せば去年もそうだった。特に大サイズのものがいつも売り切れている。大サイズがあれば3分割して三日分にできるのだが。やはり鍋物は人気ということか。それとも誰も彼も野菜を切るのは面倒ということか。真相はわからない。

先日から会社のシステムの調子が悪く、作業が滞っていた。そのせいで書類の発行ができず、かといってできることもないので別の仕事をしていたのだが、今日ようやくシステムが回復し、書類発行が可能になった。ありがたい限りである。

 その書類発行の処理をしたのち、別部署から電話がかかってきた。件の書類についての確認で、発行した後、記載されている数字を見て修正するとのことであり、発行したら連絡を入れると伝えていたのに私が忘れていたせいで催促してきたのである。その点を謝罪して、書類を発行しデータをクラウドにアップしたと伝えたのだが、ここで少々気になることが起きた。

 単なる話の雑談のつもりだったのだろう、何故システムが不調だったのかの原因を聞いてきたのである。私は直接関わっていないので、何故なのか詳細は知らなかったものの、伝え聞いた内容をそれとなく伝えた。すると、私が話した内容を聞いていた上司が、それはちょっと違うと言い出し、詳細をメールで送るからそのことを伝えてくれと言われた。その通りに別部署の人へメールを送ることを伝え、その場は終わった。

 しかし、メールを送って説明すると話した際、別部署の人が少し困ったような声で笑っていたのが頭に残った。おそらく、世間話、ついでに軽く聞こうという程度のもので、詳細はわからなければ別にいいやというスタンスだったのだろう。結果としてシステムは復旧した訳だし、システムの問題を追及するよりはシステムを運用して目の前の問題を片付けたい身であれば当然ではある。

 なので、ただの興味本位に過ぎないこと、わからなければわからないで済むことに、詳細をメールで送るという対応までされて困ってしまい、どうしようもなく笑った、ということだと思う。いわば温度差の違いである。

 こういった事態は往々にして起こるものである。求められていることに対して、必要な分よりも不足したものを提供すれば、当然求めた側は困ってしまう。しかし逆に、必要以上のものを提供されても、それはそれで困ってしまう。ネットミームでみる、餌を皿に山盛りに乗せられて逃げ出す猫のようなものである。なまじ相手は善意でやっていることが多いので、断るのも気が引ける。

 こういった事態に、私はよく遭遇してきた。どちらかといえば私は求める側であり、提供する側が詳細を開示した結果どうしよう、となってしまうという形が多い。そういう時、私はそれとなく笑顔を浮かべてやり過ごそうとする。それを指して友人がまた苦笑いしてるぞコイツ、というようなことを言ったりするのだが、調べたところ苦笑いは怒り誤魔化すためにする笑いらしいので、この場合はその場しのぎの笑顔、愛想笑いが近いと思う。

 基本的に愛想笑いをする側であった私であるが、今回久しぶりに愛想笑いをされる側になって、申し訳なさを感じた。物事の温度差が違うことによって、どのように対処をすればいいのかわからなくなってしまうという経験は、私は比較的多くしていると思う。だからこそ、そのあたりの線引き、相手がどういったことをどの程度求めており、それに対して何をどのくらい提供すれば過不足ないのか、ということは気をつけてきたつもりだったのだが、ちょっと気まずい終わり方になってしまった。最も今回の件は上司が伝えるようにと言ってきたことなので、私に非があるかと言えば微妙なところなのだが、それはそれである。実際に応対したのは私なのだ。

 気にし過ぎといえばそうかもしれない。そもそも、相手が求めていることを的確に読み取ることすら難しい、どころか原理的には不可能であるというのに、それの量、質を考慮し始めればはっきり言ってキリがないし、いつまで経っても終わらない。こういったことを考えている人の方が圧倒的に少ないだろうし、気にするだけ無駄だと思う。

 しかし、求めていることと提供されることのズレというのは、実際に直面すると辛く感じるものである。相手は一生懸命説明しているというのに、そもそものスタートがこちらが求めていることではないせいで、これから聞くこと全てが無駄になってしまう。しかし、遮って間違っているというのも忍びなくて、どうにもならなくなりただ愛想笑いをする。そういった事態を何度も見たからこそ、できれば避けたいのである。

 これに限らず、愛想笑いとはなかなかに恐ろしいものであると思う。怒ったりする訳ではないが、困っているそぶりを見せるという点で、最も当たり障りがない。会議中に話が脱線した時などは使い所だろう。であるのならば、愛想笑いに含まれる情報は笑顔というポジティブな要素に関わらず非常に重苦しい。笑顔は元々威嚇だったという話があるが、よく言ったものである。

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