水もしたたる悪い母親

 ナナ県ナナナ市ナナナナ町。

 そこで水上カホはほんの少しのストレスさえなく生まれた。甘えんぼうなのか母親にくっついていることが多く、知らない相手には必ず彼女は人見知りをする。

 かわいらしい見た目とあいまってか、幼いカホのその姿は幸いにもほとんどの人間に対して好印象を与えてくれた。

「そうよね。はじめましてだからこわいわよねー」

 と、カホの人見知りを理解してくれている近所に住んでいる老婆も。当時の彼女にとっては人間ではないものに見えていたに違いない。

 そんなある日、カホは母親とステイケ神社という場所に遊びに来ていた。夏のことだった。

 麦わら帽子をかぶっているカホはステイケ神社の近くの木々の中で池を見つける。

 直径およそ五メートルほどの大きさの池。底さえも見えるぐらいのきれいな水質だがコイや他の生きものは全くいない。

 まだ幼いながらも女としての本能のようなものが働いたようで、巨大な鏡にも見えるその池をカホは見下ろした。

 ゆらゆらしている水面に自分の顔がうつりこみ、カホは笑みを浮かべる。かぶっている麦わら帽子の角度が気にいらなかったのか調整をしていた。

「おっ、カホちゃん。きれいな池を見つけたね」

 珍しくはしゃいでいたカホを追いかけてきた母親が声をかけつつ彼女の隣で中腰になる。

 とつぜん吹いた風で母親のセミロングのブロンドヘアがなびく。彼女は軽く手で押さえた。

「いけ?」

「この大きな水たまりのことよ」

「だれかが、おさかなさんのためにつくってあげたの?」

「そうかもしれないわね」

 カホが池に手をつっこもうとするとすばやく母親は彼女の手首をつかんだ。

「にょっ!」

「だめよ、カホちゃん。おててがぬれちゃうから」

 ついさっき神社の入り口で手を洗ったことを思い出しているのか、カホが不思議そうな表情で母親の顔を見上げる。

「こわいことがおこるの?」

 ただただ思ったことを聞いただけのカホの純粋な質問に母親は大きくうなずく。彼女はがらんどうな目で愛娘を見つめていた。

「そうよ。こわいことが起こるの、だからこの池でおててをぬらさない。お母さんと約束できる?」

「うん。そうだ。あしは?」

「足もだめ。カホちゃんの身体は全部……この池でぬらすのはいけないことなの」

「カホいがいならいいの?」

「お父さんとお母さん以外なら別にいいわよ」

「なんで?」

「なんでだろうね。お母さんにも分からない」

「ふしぎないけなんだ」

「本当に不思議よね。なんでもかんでも消してくれちゃう池だからさ」

 カホに目の前の池の危険性を見せるためか母親は近くに落ちていた木の枝を水面にほうり投げた。

 木の枝が沈み、数秒もしない間にあとかたもなく消えてしまう。そもそも異物など入っていなかったかのように池は澄んだまま。

「ちきゅうにやさしい、いけなんだね」

 カホのなんてことないリアクションに母親は軽く笑った。自分の血液が半分ながれている娘だと確信したのかもしれない。

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