正しさより必要さ
誰もが、正しいと信じたことを容易には改めないでしょう。
問題があるとは思っていないからです。
しかし私が「解決したいこと」は、正しさの扱いです。
問題が生じても調整することが困難なうえ、思いのほかあいまいだからです。
例えば、地域が異なれば習慣もことなり、その正しさも異なります。
大事なことが実はあいまいで、それを信じて何もできない状況は、恐ろしく感じます。
一方で、起きてしまった出来事を悔いても、どうすることもできません。
そうすると、何をするのが「正しいのか?」と求めるでしょう。
正しさは「何よりも優先されること」と思っており、気にする人は多いからです。
しかし、以下の疑問が生じます。
なぜ先に、正しさを気にするのか?
それは本当に、考えているのか?
未来ついて予測はできても、正しく判断できる人はいないからです。
つまり、解るはずがないことを優先し、考える妨げになっていると思われます。
例えば、出かける時に「忘れ物はないか?」と聞くより「必要な物は持ったか?」と聞く方が想像し易いはずです。
まだ正解はないため、聞かれた通りに忘れ物を想像したら、分からないからです。
要するに、正しいことは厳密には正しくなく、考え直す気もなく、考える妨げにもなるため、同じ過ちを何度も繰り返します。
にわかに信じ難いかもしれませんが、ガザで起きたことなど、冷静に捉えれば、思い当たるはずです。
ここを解決することは、他の様々な問題の解決に繋がります。
不要な正しさを整理すれば、話しができるからです。
まずは、問題になって行く流れを理解しましょう。
目的を達成するために必要なこと求めますが、その正しさも一緒に求めます。
周囲に認められたいからです。
しかし完全さを求めると、答えが出せません。
妥協するのですが、そこで事実の正しさを優先してしまうと目的が変わり、不要な正しさになります。
気付き難く、さらに間違いとも言えず、支持されると厄介な問題になります。
ですから、正しさを優先せず、むやみに頼らなくしたいのです。
私たちが必要とすることを適切に求める社会です。
問題が生じても調整できるからです。
表現が至ず、意味を上手く想像できないかもしれません。
それでも、多くの人が思考できない状態に陥るのは、危ういと思うはずです。
続けていれば、いつか伝えられるでしょう。
目的や必要性が先、正しさは後、目指すは適切な未来です。
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