長い五月に
五月の終わり、仕事帰りの夜の電車に揺られながら、今月のはじめはまだゴールデンウィークだったんだと気がついて、愕然とした。
年をとったら時間があっという間に過ぎると聞いているのに、どうしたことか。
毎日がときめきの連続で、一日が長く感じられるというなら素晴らしいけれど、五月の長さは、そのようなものではなかった。
そして、こんなに長かったのに、全然短歌が作れなかった。
毎週投稿している日経歌壇には、仕方がないので、これまで単語帳に書きためていたものから選んで、なんとか推敲して送る。
なぜ、こんなことになったのか。
仕事が忙しかった、といえばそれまでなのだけれど、それだけじゃない。
悩んでいるのだった。
今の仕事を辞めて、もっとゆとりのある生活をしたい。
和歌と、中古・中世文学について、大学や大学院で学んでみたい。
そんなの定年後の趣味にして、現実を見なよ、と自分でも思う。
月と六ペンスのストリックランドみたいに、言われてしまいそうだ。
「あなたはもう……四十歳だ」
ほんとですね。
突然妻子を捨てて株式仲買人を辞め、画家になってしまったストリックランドは、そうはいっても天才だったわけだから、それでいいのだけれど。
これが、ミドルエイジ・クライシスというものだろうか。
仕事帰り、閉店間際のスーパーで、半額になったお刺身を手に取りながら、不意に叫びたくなる。「人生って、これでぜんぶなのか」
そんな話が、穂村弘さんのエッセイ「世界音痴」にあって、最近よく思い出す。
すばらしいことってあったのか。
すばらしいことってなんだったんだ。
あのエッセイで自問している彼は、38歳だった。
素晴らしいことは、日々の暮らしに、砂金のようにまぎれている。
それを掬って短歌にしたいと思ってきたし、これからもそうしたい。
五月はぐるぐるしすぎた。
歌をつくりたい。