【博学】バブル崩壊後の日本経済を勉強してみる(後編)
前回から続く
三つ目は、この間に世界で起きた「デジタル革命」
かつて日本は、家電や音響機器などの電機産業が強い国だった。
80年代までは、世界で「メイド・イン・ジャパン」といえば、性能がよくて丈夫な日本製の家電などの代名詞だった。
また、その部品である半導体の生産シェアは世界でトップだった。
90年代にデジタル革命がはじまり、95年にアメリカのマイクロソフト社が発売した「ウィンドウズ95」が広がり、パソコンが一気に普及した。
同時にインターネットで世界がつながる通信革命の幕が開いた。
革命は、スピーディに進んだ。
アメリカでは、電子商取引のアマゾンが94年、検索エンジンのグーグルが98年、SNSのフェイスブック(現メタ)が2004年、ツイッター(現X)は06年に創業し、急成長を遂げた。
2010年になると、スマートフォンの普及が進み、世界中の人が手元に持ち、世界と繋がった。
しかし、日本はその革命に乗り遅れた。
バブル崩壊で守りに入るうちに、世界経済のリーダーシップをアメリカ企業に独占された。
東洋経済(一色清さん)は、言う。
「デジタル革命が10年ほど早く来ていたら、あるいはバブルに踊っていなければ、日本がその主役だったかもしれないが、悔やんでも仕方ない。」
まさにその通りで、タイミング的な不運も加わっているんだ。
今、日本は物価が上がり、賃金も上がる好循環に入りそうな気配がある。
今までの上昇賃金の内実が、アルバイトの時給アップ(最低賃金)が大半だったのが、トヨタを筆頭に、今ようやく局面が変わろうとしている。
やっぱり、トヨタは凄いんだな。
(愛知県民なのに、日産乗ってごめん)
これで、他の企業や公務員も上がる。
一色さんは、さらに言う。
「『失われた40年』という言葉はもう聞きたくないので、この局面転換が本物であってほしいと心から思う。」
本当にその通りで、涙もアドレナリンも出る。
親世代の失敗のつけを払い続けるのは、もういいだろう。
就職氷河期も経験せず、介護保険ほか今や高額な各種保険も払わず、日本経済を失敗に追い込んだ彼らは、定年延長もせずに、さっさと表舞台から逃げ出した。
ある意味勝ちで、本質的には敗けだ。
そのつけは誰が払うのか、バブル後に社会人になった、残された我々子供世代だ。
バブル最終世代の上司と、働き方改革されたゆとり世代、Z世代の部下に挟まれて、ただただ不運だ。
中学の途中から、教師に殴られなくなっただけは有難い。
逆に言えば、殴られただけで、殴ってない世代だ。
パワハラを当たり前にされた最後の世代かもしれない(笑)
そして、パワハラ禁止へ…(当然賛成です)
また、コロナ前後から、ワークライフバランスなど働き方改革も叫ばれ始めた。
残業の制限、有給の取得、男性の育休、その他の恩恵を受けているのは、ゆとり世代の部下たちだ。
定時退社、自由な休み、育児の休み、しわ寄せは誰に来るのか、考えもしてないだろう。
日本国防衛軍パソナ竹中主導で、切り捨てられた我々世代は当然不幸ではあるが、必要な切り捨てだったと、正規で自分の家族も作った私は、今では思える。
それは、我々の祖父母世代ががむしゃらに頑張った結果として、バブルに踊った親世代からの負の遺産なのだから、しょうがないのかもしれない。
ただ、非正規社員(正規でも下層)に追いやられた友人は、結婚も出来ず(出来ても)、人生に詰んで、逃げて諦めて、言い訳して、形ばかりの敗者復活戦に溢れている。
正規社員として、圧倒的不利な状況を、負の遺産達の理不尽を、歯をくいしばって耐えてきた我々は…
雨が降る祝日の本日、名古屋市のターミナル金山駅で、下を向いて、電車を待っている。
それでも、僕らは頑張っている。
切り捨てられても、よく耐えたな。
この上昇気流は、我々30年間の犠牲に成り立っていると自負する。
本当に雨は上がったのか。
胸を張って、空を見上げる。
暗鬱たる雲の隙間から、光が射した。
明日は、晴れると信じたい。