ぜんぶぜんぶ

ぜんぶぜんぶ、ほろびればいいのに

こんな陳腐なセリフを吐いても誰にも迷惑はかからないだろう。迷惑がかかるというやつはそれこそ「ほろびればいいのに」。精神が弱っているから見たくない、見させられない自由がある、知るかバーカ。

脳髄に染み渡る疲れ。言語がすべて文字化けしていく感覚。他人への羨望と怨嗟、自己嫌悪が渦巻く精神世界。真っ白な世界ならばどれほどよかっただろうか。復讐あるいは八つ当たりとして読んだ者の精神を疲弊させることができれば極上の幸せだ。君の精神を滅ぼしたい。願わくば廃人に。さあ、俺よりも不幸になれ。

あとがない状況というものがある。金、知恵、見た目、すべてが欠ければ文句なく行く先は地雷原だ。俺には金がない。あるにはあるが、薄皮一枚の命だ。金がなければ地雷の密度はかなり上がる。金があれば取り除ける。知恵があり、金か金を出す支援者がいれば取り除ける。見た目があれば金づるが得られ、取り除ける。結局は金だ。世の中金があれば生きていける。金を拝もう。ただの紙を、金属を拝もう。個として尊重されるらしい人類よ、物質を拝め。

金がなければ客観的に見ると不幸と判断される。そう、私のような者だ。食と住に関する支援は年々薄くなる氷の上に立っているが一応あるため、断ずることができるかは微妙だが、逆に言えば基礎がそれしかないため、また感情は絶対評価とするので、主観的に、私は客観的に幸福でないと断ずる。

金がなければ余暇がない。余暇がなければ何もできない。飯食ってセックスして寝るくらいか。原始時代の暮らしならそれで満足しよう。しかし愛すべき人類は、文明をめざましく発展させ、他者を憎み、殺戮し、功績を後世に残してきた。人類万歳。そんな自称高度な人類社会において他者の支援に甘んじて生活するものは社会のお荷物としてののしられる。もちろん、私も罵ろう。特別な事情があるものは別だが、思考形式としては適用除外ではなく、適用後の控除になる。一度は罵ろう。そして罵るべきでないと言えるような事情を察知した後、自己嫌悪しよう。ただし、相手を憐れもう。あぁ、俺よりも不幸だと。そしてまた自己嫌悪しよう。

話を戻して、この社会は自己実現をしろと言ってくる。自己が何かも定義せず、夢を追えと言い、現実を見ろと言い、なにかしらの達成を求めてくる。求められたら一応は応えよう。性として。理由はない。だが、応えようとしたところで、求める奴らは高みあるいは低みから言ってくるだけで、こちらの次元には降りて(上がって)こない。次元が違うのでこちらの事象は見えない。見ようともしない。見ようとしても、見られた範囲がすべてと思い込む。こちらが無理そうだと言ったとしても、できるはずと言い放つ。あるいはそこで求めることをやめる。お前が始めた物語だろと言い放つ。バカなことを言う。お前が求めたから始めた、お前のための物語を紡いでやってるんだ。自分のための物語なんて何が悲しくてしなきゃいけないんだ。原始時代の生活でこっちは満足なんだ。

そうして他者の為に、自己(仮)実現を求める。しかし金がなければ何もできない。大学にも金が要る。ありがたいことに奨学金等のおかげで地雷原を多少は進んでいける。労働する羽目にはなっているが。労働はクソだ。しかし労働しないやつもクソだ。恵まれたやつ。何と憎らしい。恵まれたやつは恵まれていないやつに奉仕しろ。ノブレス・オブリージュだろ。恵まれた状況になれば俺も奉仕してやろう。ろくに労働しないフリーターは俺の代わりに労働しろ。労働先での評価が大学生よりも劣っているやつだぞ。社会のお荷物じゃないか。排除するぞ。

普段ならばこのような感情は理性と知性でもって抑制しよう。不幸にも知識だけはそこそこある。利己的な考えは大衆受けが悪い。批判してくるやつはたいてい利己的に考えているが。わが身かわいさに利己を貫かないだけの利己的な奴らだ。条件反射で羨みを憎しみに変え、殴りかかってくる高度な文明社会で暮らしているらしい、原始時代よりもみすぼらしいやつらだ。自分も例外ではないが。こう言っておけば一定数の批判を免れることができる。自戒を込めてなんて言ってるのを時々見るが、自戒するなら発信するな。自己の中でとどめろ。

人は嫌いだ。謎の期待をぶつけてきて、期待からずれた行動をするだけで勝手に失望しやがる。そもそも期待してこないやつらは人に興味がないから利己を貫いているともいえるが、社会においては異質なものと認識されるらしい。期待してくれる人がいい人、期待には応えるべき、前提条件が複数あるが、概ね社会の上部に行くほどこのような考えはあるのではなかろうか。彼らはそもそも期待することが少ない異質な者たちだからだ。こんなやつらがひしめいているだけのものを社会と呼び、何らかの結合があるものと捉えているらしい。何もないのに。血縁関係でさえ捨てられる世の中なのに。異質な物がありふれているだけなのに。人は嫌いだ。ただそこにいるだけで意味を求めてくるし、意味を求めてこない場合は見捨てているだけだからだ。

人が、嫌いで憎くて羨ましくて鬱陶しくて、人を、滅ぼしたくて消したくて燃やしたくて切りたくて刺したくて絞めたくて貫きたくてもぎ取りたくて引きちぎりたくて折りたくて、愛してたくて

だからこそ、ぜんぶぜんぶ、ほろびればいいのに。


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