【小学校教員必見】通知表の所見:子どもたちの成長を伝えるためのヒント
みなさんは、小学校の時、通知表にどんな所見を書いてもらっていたか覚えていますか?
わたしは全然覚えていません(笑)
というより読んですらいないと思います…
昔の小学校の先生が書く通知表は結構辛辣です。
所見欄という先生がコメント書くスペースがありますが、できないことをたくさん書きまくります。
もし、お持ちでしたら是非読んでみて下さい。
例えば、忘れものが多い子どもは、「忘れものが多く、学習に支障あり大変困ってます。改善するよう努力してください。」
授業中離席あれば、「授業中、たち歩くことが多く困ってます。座って授業受けられるようご指導下さい。」
私語が多い子には、「授業中私語が多く、授業に集中していません。私語を慎んでもらいたいです。」
という感じです。
もしかしたら、もっと辛辣な内容もあったかもしれません…
昔の先生の多くは、今から思うと、無知極まりなく感じます。
現代風に言えば、まさに
「タンニン砲」ズドン!
本当に困ってるのは、先生ではなく子どもたちです。
これでは、できていない事実だけを、ただズバッと指摘しているだけ。
もちろん現在の所見は違います。
よい所や、成長したことが書いてあります。
例えば忘れ物が多い子であれば、
「忘れ物をしないように連絡帳に毎日持ち物メモを書き続けることで忘れ物を減らすことができました」
立ち歩いてしまう子なら
「先生あのねカードを使うことで、授業中に気になることがあったときでも立ち歩かず授業に集中できるようになりました」
私語が多い子なら
「国語の学習では、〇〇さんの授業中のつぶやきから、議論が白熱することがよくあります。発想力が豊かです。」
といった感じです。
小学校の子どもがいるパパ・ママさんは、自分の子の通知表をぜひ読んでみてください。
そして、子どもと対話をして努力できたことをぜひ価値付けしてあげてください。
そうすると、結果よりも経過の方が大事なんだと気づくことになります。
できなくても、努力すれば褒められることがあるんだと知り、自己肯定感が上がります
そういう目的で所見を書くので、ぜひ活用していただきたいと思っています。
今回は、その所見の意味について考えてみたいと思います。
学期末になると所見提出の締め切りも近付いてきます。
提出することが目的になってしまうと所見の果たす目的とずれが生じます。
所見とは、子どもたち一人一人の努力と成長を保護者に伝え、家庭との連携をはかり、子どもたちの成長を促すものと考えています。
当然ですが若い頃は、そんなこと考えもせず、締め切りに追われて、週末必死になって書いていました。
しかしながら、働き方改革と言われている現在、所見を書く時間や労力などを考えると、所見は本当に必要なのかと考えてしまうことも多いです。
面談すれば、所見以上の情報を保護者に伝えていけることを考えてみても、所見がそこまで必要なのかと考えさせられます。
学校評価で訴え続けていくしかありませんが…
先生以外にも保護者や地域の方が、「所見いらないよ」と声をあげてくだされば、世論の後押しがあれば、なくなっていくのではないかなと思っています。
所見を、通知表からなくした学校などもあるようです。
所見がなくなれば、学期末の悲壮感はなくなり、子ども達と向き合う時間も増え、ハッピーな日々を過ごせますね。
とはいえ、所見がある以上は、所見の意味を理解して書くことは大切です。
まず、読んでもらう相手は保護者であるということを忘れてはなりません。子どもではありません。
所見の読み合わせなどすると、たまに子ども向けのメッセージ的な内容になっている方もいます。
子供に伝えたいことは、所見ではなく、日記やノートのコメントなどで十分です。
つぎに、伝える内容です。子どもの努力や努力の過程を価値付けた結果、成長した様子を伝えます。相手意識や伝える内容を履き違えると、所見ではなくなります。
例えば、事実の羅列した所見。
親がすでに知っている内容の所見。
誰にでも当てはまる所見、などなど。
特に行事についての所見には細心の注意が必要です。
なぜかというと、行事は親も参観しているからです。
特に、リレー選手や応援団などに選ばれた子は、朝早く練習したり、放課後残って練習する子もいます。
そうすると担任以上に親の方がその様子を知ってる場合があります。
それをわざわざ書く必要はないということです。
最後に、所見とは、ある特定個人に向けて書かれるものである以上、読んだ時、その子どもの顔やその時の様子が浮かばないといけません。
事例をあげて考えてみましょう。
「運動会では、リレー選手として、毎朝バトンパスの練習をしました。当日は、練習の成果もでてチームの勝利に貢献しました。」
これは、事実の羅列に加え、リレー選手になったこと、毎朝練習してきたこと、当日チームが勝ったことは、保護者が知ってることです。
伝えるべきことは、リレー選手になったことで、その子どもがどう成長したのかということです。そして、担任自身がその子に価値付けた内容であることです。
それを最低でも学期に1度、1人に1つは見付けていくことが、担任としての使命と考えています。
「体育のリレー学習では、バトンを落としてしまったチームの友達に優しく励ましの声をかけていたことがありました。運動会のリレー選手となり、チームワークの大切さを学んだことで、相手の気持ちになって行動できるようになりました。」
この所見から、担任が価値づけたかったことは、バトンバスの技術が向上したことや、走力が上がったことではなく、相手意識が育ったことだとわかります。
このような所見になると、親ならこう聞きます。
「友達に励ましの声かけたって書いてあるけど、誰のこと?」
「○○だよ。バトン落として○○にせめられていてかわいそうだったから、「気にするな」って言ってあげたんだ。
その後、責めたやつに謝れっていったらそいつが怒っておれの腕ひっかいてきたんだ。だからかっとなってやり返したらケンカになって…」
のように自然と会話が生まれます。
このような子どもの成長を感じとれたら親としてうれしいにちがいありません。
このように、家庭で会話が生まれ、自分が価値付けたことを、家庭でも同じように価値付けてもらえるような所見を目指していきたいものです。
そして、自分の学級経営理念に裏付けられた所見にしていきたいところです。
そのためには、新学期から意図的・計画的な活動を継続していかなければいけません。
学級経営理念についてはこちらをご覧ください。↓
また機会あれば所見文例を紹介したいと思います。
参考になる方がいたら幸いです。
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