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【雑記】感想文をお前も書け!!

最近「映画を見た後、適当な感想文を読んで自分も同じ気持ちだ~!と思ってしまう。よくないと思っている」みたいなツイートを見かけた。

よくない。

ひっじょ~~~~によくない、と私は思う。

そこで感想文を書くことにかけてはやる気MAX、小中高では読書感想文でコンクール入賞を果たし、仕事中も文章の構成を考えてしまい、人の感想文を読んでにやにやすることが大好きで愚かな感想文中毒者の私が、日頃どうやって感想文を書いているのかここに書いておこうと思う。
気分はさながら「三島由紀夫レター教室」を書く三島由紀夫。ずいぶん大きく出たけれど、オタクはみんな感想文を気軽に書けばいいし、せっかくならちゃんと文章にまとめて人にぶつければいいのだ。

リヒト感想文書き方教室

この方法は私が小学生の時から続けている方法だ。だから早い話、小学生でもできる。
感想文の書き方は、その対象が映画であれ、ドラマであれ、ゲーム、漫画、小説、エッセイなどなど何であれ、大筋は少しも変わらない。

やること1:テーマを決める

何よりもまずこれ。言いたいことを決めるための道しるべでもある。
ここでいうなら「感想文を書くにはどうするのがいいのか」というところだ。
いかに皆様に、わかりやすく感想文を書く方法をお伝えするか?とか自分ならいつもどう書いているか?というようなことをまずフックとして用意する。いくつかあるならそれでもOK。
とりあえず準備したら、それが感想文を書くための強力な味方になってくれる。

テーマは一度これと決めたからといって変更してはいけないわけではない。書いていくうちにズレてしまって、テーマを変更することもよくあることだ。そのときはのちのちすり合わせればいい。
自由にあとから変更してもいいし、いくつかのテーマを複合させても面白い。
とにかくまずこの話がしたいのだと明確にしておく方が、いろんなアイディアが出る。

やること2:マインドマップを作る

次に「テーマについて、自分が一体何を考えているか」を全部出力してしまう。
例えば感想文を書くことについてなら、感情的には楽しいと思っている。実際にやるうえでは必要な手順が1,2,3…とたくさんある。それを行うことでどんな結果につながるのかや、最終的にどのような形にまとめたいのかまで、とりあえず思いつくことを全部書き出してしまうのだ。

そうやって出力することで、自分の考えを整理することにもなるし、その中に重要なワードが誕生することも多い。
この時に、私はマインドマップというものを使うことが多い。もちろん箇条書きで書くこともあるが、大体はマインドマップを脳内に作るか、書く。
実際に手元に文字として出すことで「私はこんなことを考えていたんだな」「こういう風に思ったから、こう感じたんだな」という筋道が立てやすくなる。そこに追記していくことで、アイディアを拾うことができる。

マインドマップについてはこちらを参照のこと。

やること3:言いたいことを決める

ここまで準備ができたら言いたいことを決める。
この記事でいうなら「お前も感想文を書け!!」の部分だ。私はここが言いたいので、ここはちゃんとメッセージとして盛り込めるようにする。

これについては「この結果に向けて書く」ことになるので、変えてはならない。ただいくつかの結論があっても良いので、もうちょっと緩和しよう。
「お前も感想文を書け!!いや、書きたくないなら書かなくてもいいよ、無理強いはしないよ」
うんうん、これで書きたくない人から叩かれることもなくなるはずだ。

……と、こんな感じで決めることが多い。
とはいえまず真っ先にここの言いたいことやテーマがバシっと決まることがほとんどなので、ここまでの作業は脳内で完結してしまっていることが多い。

やること4:なぜそう言いたいのか?を考える

たぶんここが一番難しいのだと思うが、そう言いたいと思った理由を書く。
つまり先に結論を決めてしまい、そこに向けて穴を埋めていくのだ。

一般的な読書感想文であれば

  1. まず「この本はつまらない。なぜなら~「だから私はつまらないと思った。」と書く。(面白いでもいいし好きでもいい)

  2. 「そこで、私だったらこうするだろう。こういう結果なら納得できるが、この話には納得できなかった。」と書く。(こんな展開なら納得できなかっただろうとか、この人のこういう行動が好きだったでもOK)

この2ステップでほぼ完成する。

ここの中身の部分を、自分の脳内の引き出しをいろいろひっかきまわして探しまわる。だが何も自分の脳みそだけでなくてもいい。別のゲームや映画、小説を出したってOK。
とにかく「どうしてそういいたいのか」「自分はなぜそう感じたのか」を書いていくと、そのうち感想文としての体裁は整ってくる。

やること5:文章にまとめる

めんどうくさいけれど、4まで考えたことを文章にまとめる。
私はいつもnote上でまとめてしまうが、この中の細かな手順を考えるとこんな感じだ。

  1. 出だしを考える

  2. 全体の文章を書く

  3. 読み返し、章を決める

  4. 全体を確認し、必要ならば文章を入れ替える、追記、削除するなどして修正する

  5. 再度全体を読む

  6. 以下4と5を納得するまで繰り返す。

これで私の感想文は構築されている。
この手順を大体4つから5つくらいの記事で並行して行っていることが多い。
「これとこれ、言いたいことが一緒だな」と思ったら合体するし「もうちょっと掘り下げて書きたいぞ」と思ったら分割したり、あとから追記したりする。

やること6:他人を批判する内容になっていないか確認する

これは一応やっていること。
たとえば「こんな風に感じる奴はばかだ」とかそういうことは書かない。
「こんな風に感じる人がいるかもしれないけれど、自分はそうは思わない」と書いたりする。
自分の意見を表にするときに、他人の感覚はどうでもいいのでこう書くことも少ないけれど。

また私が批判するとするなら作品であって、作者そのものではない。
ここをはき違えるのはよくないな~と思っているので、「この作者は何を考えているんだ」みたいなことはよい意味でその発想についていけない時以外、使わないようにしている。

まこうやって気を使って書いたところで多数にみられるようになってしまえば、必ずどこかで批判は生まれるとも思っているのであまり意味のないことなのかもしれない。
それでも感想を読んでくれる人のことは尊重したいし、その人の感じたことや考えたことを尊重したい。そういう考え方もあったんだ!と思うことはあっても、それはおかしいとは言いたくない。

もちろんその限りではない場合もある。
その考え方は絶対にありえないと思ったり、表明するべき場もある。
でもここは読書したりゲームした時の自分個人の感想をどう書くかという話なので、議論しないものとする。
その点においては、相手を傷つけたり怒鳴りあうことが目的ではない議論を楽しむアーモロートの市民たちは非常に模範的だ。

感想文を書くことは、考え方の練習になる

ということで、私流の感想文の書き方をとりとめなく書いてみた。
どうだろう?ちょっとは誰かの参考になればいいな~うれしいな~~の気持ちだ。

さて少し話は変わるけれど「感想文を書くことは考え方の練習だ」という言葉は、私が父に言われた言葉だ。ちなみに数学も「考え方の練習である」と言われた。
つまり父は、義務教育というのは知識を蓄えることはもちろんのこと、なぜ自分がこう考えたのか、この結果になるとどうして思ったのかを理論立てて説明するためにあると考えていたのだ。

当時は全く理解できなかったが、今ならばこの言葉の意味が分かる。
人は思考する。他者も思考する。だがその思考のルートは誰にも開示できない。自分がちゃんと話すか、書くかして説明できなければ、理解してもらうことがない。

だから自分の考え方を論理だてて出力し、誰かに理解してもらう。理解してもらえなくても「こう考える人なのだな」と感じてもらうというのは、コミュニケーションにおいて非常に重要なのだ。

ゆえに、私は感想文を書くことをオタクの皆様に推奨したいなぁ、と思うのだ。内容は感想なのだから、絶賛でも批判でもいい。稚拙かどうかもどうでもいい。
大事なのは何をあなたが感じ、どうしてこう書くに至ったかだけ!

オタクよできればペンを握れ!そして可能ならば感想文を書け!!書きたくない人は書かなくてもいいし、無理強いもしませんが。(ずいぶんぷにゃぷにゃな主張になってしまったなぁ!)

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