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【クルツゲ】茶色のモフモフ(536文字)

犬がいた。小さくて頼りない。街中のショーウィンドウにいた。どの犬もみんな小さくて頼りなかった。寒い秋の日、土曜の午後だった。
安田はじっと見つめていた。すると店員が視線の先の一匹を抱き上げた。わざわざ外に出てきて安田にあずけた。安田はドギマギしながら受け取った。まず手に持っていたペットボトルを地面に置く必要があった。
両手の中の生き物は小さかった。が、自分の意思で身をよじっていた。心臓の速い鼓動も伝わってきた。
安田は子犬を店員に返した。ペットボトルを取り上げ、店内に入った。目的を果たす必要があったからだ。スマホを取り出すと、「茶色のモフモフした」犬の写真をあれこれ撮った。
偶然通りかかって撮った写真だ。これを今度会ったとき見せたらあの子は喜ぶのではないか。ふとそう思って、立ち止まり、じっと見つめていたのだ。
安田が入ったあと他のお客さんが続けて入店した。店内はにぎわっていた。応対中の先ほどの店員に会釈をして、安田は店を出た。
そのとき撮った10枚ほどの写真を見せる機会は訪れなかった。が、それなしでも二人は仲良くなり、2年半交際した。大学を卒業して2年になるころ、別れることになった。あのときの写真は、あの子が他の人と結婚した今もなお、安田のスマホの中に保存されている。

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