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【クルゲシ】壊れたトランク(730文字)

クルビルム。クルビルム。伊藤さんがその黒いトランクをみつけたのは、先日はじめて行った飲み屋でのことだった。

「カウンターと壁際にテーブルが三つか四つ並んだの小さな、よくある飲み屋なんですが、なぜかトイレの前に置いてあったんですよね」

くるくるよく転がるキャスター。叩いてみると、コンコンと固い音がするので、空洞ではない。

見渡しても持ち主らしい客はいないので、店員の若い男の子に聞いてみたらしい。ここからここまでが98センチ、こっちからあそこは99センチ。
大学生らしいきれいなその子は、大きな手を片頬に当てて、しばらく考えていた。
手の甲に青いボールペンで何かの数字がメモされている。
98、99は読めるのだが、その周りに切った爪のように散らばってる文字が判読できない。

「ちょっと店長に聞いてきますね」

バイトのメモだろうか。クールな見た目に似合わない、ころころしたかわいい字体だったから、大学やサークルで女の子に書かれたものかもしれない。彼に好意を持つ子は数えきれない。

「ああ、すみません。壊れたトランクを廃棄しようとして、忘れてました」

硬いボールペンの先が、手の血管や骨をこりこりと当たって、滑らかには進まない。皮膚もひっつれないように優しく書き込むことができるのが、彼女のステータスなのだ。

かなり苦しくなっていた局部を開放して、筋肉の緊張を緩める。呼吸も濃やかになっていく。

「うす暗い店内は外国人観光客でいっぱいだったのに、どうしてトランクは客のものじゃないとすぐに分かったんだろう」

そういう疑問が伊藤さんの頭に浮かんだのは、かなり苦しくなっていた局部を開放して、トイレのドアも、店のドアも開放して、スーツも脱ぎ捨てて裸になり、シャワーを浴びたあと、ベッドに入ってからだったという。

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