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父親のこと2

父親が四十代後半に入った頃(私は中学生の頃)、母は、父に糖尿病の検査を受けるようにお願いするようになりました。
と言うのも、父親方の伯父、伯母は全員遺伝性の糖尿病だったからです。
そして、それに父親はとても苛立つようになりました。
病院へ行って、糖尿病と診断されるのが怖かったのだと思います。
私の父親は、普段の尊大で高圧的な態度に反して、内面はとても小心者だったのです。

母が受診の話をする度に激しく苛立ち、近所ともケンカをするようにもなりました。

うちの前の私道を挟んだ家がまだ更地だった頃、持ち主の許可を得て、うちは車を駐車させてもらっていました。
しかし、うちの隣の施設で人が集まる時など、そちらは持ち主の許可を得ず、勝手に利用者が車を停めるようになり、うちの車を出したくても出せなくなったことが何度かあり、それに怒った父親が施設の持ち主の一人である反対側の隣家に怒鳴り込んだのです。
母は止めましたが、母の意見など聞く父親ではなかったので、父親は隣家と大喧嘩をしました。
それ以来、隣家とうちの関係は最悪になりました。
相手が悪かったのですが、大喧嘩をしてしまって、相手も怒って、後へ引けないようでした。
私たち子どもとすれ違う時も、挨拶しても走って逃げられるようになりました。

そして、忘れられない出来事が起こりました。
ある日、夕食後だったと思いますが、母がまた父親の体を心配して、病院へ行くように説得を始めました。また、近隣とトラブルを起こすのは止めてほしいと訴えました。

父親は、「自分は何一つ悪いことはしていない、自分の体のことは自分が心配するから放っておけ!」と怒り出しました。
そして、隣家との大喧嘩について、「自分たちに火の粉が降りかかっているのに、他人の顔色を窺って何もしないお前は蛆虫(うじむし)だ!」と母に言ったのです。

その時、私たち子どもは、初めて母が泣くのを見ました。

母が泣くのを見て、気まずくなった父親は居間を出ていきました。

その涙が効いたのか、父親はその後病院へ行き、糖尿病の診断を受け、病院へ通院するようになりました。

しかし、私にとって、父親を憎む一つの理由に、この記憶は今でもなっています。


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