私が一番恐れていること、それは私の中にある私の父親の血です。 日常的に、テレビのニュースなどを見ては、 「惨殺されて死ね!」などの言葉を吐いていた私の父親。 物心つく前から、そのような環境にいたせいか、私は怒りに駆られた時、そのような言葉が頭の中や心の中に湧き出てくるのです。 そして、それが苦しくてたまらないのです。 私の父親は、晩年まで、短気でカッとなると他人にでもけんかを吹っ掛けるような人でした。 ある時、病院の入り口で、おじいさんが何かを取り出そうと立ち止まりまし
今日は、失敗してしまったと思ったことがありました。 お風呂の掃除をしようと思い、午後3時40分頃、お風呂場に行き、窓を閉めました。その時に、女性の叫び声のような声が聞こえた気がしました。 私はノイズキャンセリングヘッドホンをはめて、音楽を流していたので、はっきりとは聞こえなかったのですが、居間に戻り、母に聞くと、「さっき前のお宅の車が帰ってきたよね。奥さんと娘さんが話してる声は聞こえたよ」と言いました。 私はヘッドホンのせいで、前の車のドアの音も、全く気付きませんでした。
外出するのが怖いです。 理由を自分で考えてみると、まず一つ目が、近所の目です。 特に、うちと私道を挟んだ前の家のお宅の人たちには会いたくありません。 以前も書きましたが、そのお宅の車のドアを閉める音に、私はとても苦しんでいるからです。 今は、メンタルクリニックでもらっている薬が効いて、逆上して音を立て返したりはしませんが、メンタルクリニックに行く前は、何度かやり返してしまったことがあります。 その後、私が朝ゴミを捨てにそのお宅の前を通ると、3回連続で壁や段ボールの箱などを
私がスーパーなど外出する時間帯は、大抵午前11時前後~午後2時前後です。 お昼時の時間を除いて、お店の開店から少し一段落している時間じゃないか、という考えからです。 朝や夕方、夜は通学、通勤時間に重なる気がして、外出するのがとても気が重くなり、なかなか出かけられません。 今、ひきこもりやニートの自助グループに興味があります。 自分の住んでいる地域で探したのですが、一つだけありましたが、少し遠く、午後4時から7時と言う時間帯で、あきらめかけています。 また、市のひきこもり
前の家の車のドアを閉める音が、午後7時半頃しました。 それから、今度はいつ帰って来て、あの音がするのだろう、と神経を張りつめる時間が続きます。 ノイズキャンセリングイヤホン、充電が切れたらノイズキャンセリングヘッドホンに替え、車のドアを閉める音に備えます。 そんな自分に疲れ果てます。 車は午後9時40分に帰ってきました。 イヤホンやヘッドホンで、音が小さくなるのだからそれで良しとしなければ、と思いつつ、とても気になってしまう。 そして、故意なのでは、と思ってしまう。 相手も
物心がつく前から、ずっと父親に怯えて生きてきました。 その父親が死にました。 自分勝手で、自分さえ良ければ良い、という父親でした。 家族を傷つけてきた父親。 その父親がいなくなっても、私の苦しみは消えませんでした。 勝手にいなくなって、私の憎しみの行き場が消えてしまった気がしました。 父親の最期の頃、私は、本当に一歩間違えてしまえば、父親を殺してしまいそうになる手前まで行っていました。 弱っている父親に、今まで押さえつけられていた自分が爆発しそうになる瞬間が何度もありました
退院してきた父親は、はじめのうちは、テレビを大音量でつけなくなったり、朝ちゃんと起きるようになっていました。 病院で注意されたり、規則正しい生活を促されていたからではないかと思います。 でも、すぐに退院前と同じように戻りました。 病院から紹介されたケアマネージャーさんにいろいろ相談し、介護認定を受け、訪問診療、訪問看護をお願いしました。 お医者さんには一応暴言を吐きませんでしたが、男性の看護師さんには 「お前は誰だ!」とか、 「お風呂に入りましょう」と言う看護師さんに 「
父親が80代に入り、認知症の症状が現れるようになりました。 最初に変だと思い始めたのは、母でした。 数十年前に売った土地のお金はどうしたんだ!と、父親は怒ったようにある朝母に切り出しました。 数十年前のことを突然言われて、母も戸惑い、記憶がすぐには出てこなかったようですが、一方的に父親から「全部お前に預けた!」と怒ったように言われ、考えていると、思い出し、「お父さんが国債を買うといっていたのはどうしたの?」と聞き返しました。 そうすると、急に父親は黙り込み、そのまま席を立
父親は、役所を定年の数年前に早期退職しました。 糖尿病で体が辛い、周りの人にも、大丈夫か、と言われているくらいひどかった、と言いました。 母は、定年まで働いてほしいと願いましたが、聞く耳を持ちませんでした。 そして、退職後、数年区役所の案内で嘱託職員として働いて、趣味を満喫していました。 社交ダンスの個人レッスン、囲碁でプロの棋士との指導碁など。 お金持ちの家に育ったので、お金を使うのが大好きで、退職金が入ったことで、お金を湯水のように使うようになりました。 退職金は「半分
私は20代に入ると、父親を避けました。 今から思うと、よくあの父親が我慢していたなと思います。 なるべく顔を合わせず、出くわしたとしても、お互いに無視、挨拶も交わしませんでした。 そもそも、私たち兄弟が子どもの頃から「お帰りなさい」など挨拶をしても、「うむ!」という感じで、「ただいま」とまともに挨拶を返さない父親でした。 しかし、私が27歳の時、突如、父親はキレました。 きっかけは、門燈の電気をつけ忘れたことでした。 帰ってきた父親が、それにキレ、そして、「とにかく何でもい
父親が四十代後半に入った頃(私は中学生の頃)、母は、父に糖尿病の検査を受けるようにお願いするようになりました。 と言うのも、父親方の伯父、伯母は全員遺伝性の糖尿病だったからです。 そして、それに父親はとても苛立つようになりました。 病院へ行って、糖尿病と診断されるのが怖かったのだと思います。 私の父親は、普段の尊大で高圧的な態度に反して、内面はとても小心者だったのです。 母が受診の話をする度に激しく苛立ち、近所ともケンカをするようにもなりました。 うちの前の私道を挟んだ家
私の父親は、一昨年認知症を患った末、老衰で八十七歳で亡くなりました。 私の父親の最初の記憶は、私が多分、まだ幼稚園に入る前のこと。 居間で、父親がイライラと行ったり来たりしていました。 私はびくびくしながら部屋の隅でその様子をうかがっていたように思います。 父親が熱を出して、母が往診を頼みに出かけて行ったと聞きました。 2つ目の記憶は、私が幼稚園の頃、床屋さんごっこのつもりで鋏を持っていた私を見て、危ないと思った父親が怒鳴った瞬間、私は気を失ったという情けないもの。 私
自分が、突然の大きな音に対して強い動揺と怒りを覚えることに何年も苦しんできました。 こんなのは自分だけだと思っていたのですが、2年ほど前、ミソフォニアを知りました。 ミソフォニアは、日本語では音嫌悪症と言い、人によって反応する音は様々ですが、その特定の音を聞くと激しい怒りを抱いてしまうというものだそうです。 これを読んだ時は、ああ、これだ、と思いました。 専門家に診てもらったわけでもないので、何とも言えないのですが、私が反応してしまう音は、突然の大きな音なので、もしかした
私にとっての必需品は、ノイズキャンセリングイヤホン・ヘッドホンと耳栓です。 30代後半の頃、外へ出られなくなり、前の家のお宅の音に敏感になり、精神不安定になった頃、初めてSonyのWalkmanを買いました。 それについていたのがノイズキャンセリングイヤホンでした。 普通のイヤホンより外からの音を防いでくれるのに、とても感激しました。 それ以来、Walkmanとノイズキャンセリングイヤホンが一日中私にとって欠かせないものとなりました。 いまでは、ノイズキャンセリングのヘッドホ
6軒目のメンタルクリニックへ、数年ぶりに通い始めました。 今まで行ったメンタルクリニック6軒のうち、3軒は門前払いだったので、話をじっくり聞いて下さり、今後も通院で受け入れて下さったことに私は光を見たような気持でした。 また、初回からしばらくは薬なしでした。 5軒目に行った病院では、最初からどんどん薬の量が増え、日中も起きていられないほどの眠気に襲われ、その後、そういうメンタルクリニックが今増えているということをNHKのドキュメンタリーで知りました。 なので、最初から無闇に薬
今、私の家の前の細い私道を挟んだお宅で、一人、思いっきり大きな音を立てて車のドアを閉めたり網戸を閉めたりする方がいます。 家の中にいても、家族中ビックリするほどの音です。 私は激しく反応してしまい、今回のお宅にも、大きな音を立て返したりしてしまったことが何度かあります。 そして、ある朝、ゴミ出しの時、その家の前を通ると大きな音で段ボールの箱か何かを蹴るか何かするような音が聞こえました。 私がゴミ出しをする時に、3回連続でその音が聞こえ、私にやっているんだと、私は思いました。