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父親のこと3

私は20代に入ると、父親を避けました。
今から思うと、よくあの父親が我慢していたなと思います。
なるべく顔を合わせず、出くわしたとしても、お互いに無視、挨拶も交わしませんでした。
そもそも、私たち兄弟が子どもの頃から「お帰りなさい」など挨拶をしても、「うむ!」という感じで、「ただいま」とまともに挨拶を返さない父親でした。

しかし、私が27歳の時、突如、父親はキレました。
きっかけは、門燈の電気をつけ忘れたことでした。
帰ってきた父親が、それにキレ、そして、「とにかく何でもいいから社会に出ていけ!」という命令でした。

子供の頃から「誰の金で食ってると思っているんだ!」と言われて育ったので、追い出されるのが怖かった私は、翌日、1日中アルバイトを探して外をさまよいました。
でも、勇気が出ず、さまようだけで、夕方、疲れ果てて公衆電話から母に電話すると、「とりあえず、もう帰ってきなさい」と言われました。
母は、とても心配してくれていたみたいでした。

結局、アルバイトは出来ず、週1回、区の生涯教育センターへキリスト教の宣教師の方が教える英会話サークルへ通うことになりました。

本当に情けないですが、それだけでもとても辛かったです。
英会話サークルでは母より年上の女性たちばかりで、中には白い目で見てくる人もいました。その人は決して私とは口を利かず、私をいないもののように扱っていました。
いい年をした人間が、主婦でもなく、昼間に英会話を習いに来るなんて、やっぱりおかしかったのでしょう。
でも、それに行かなければ家を追い出されてしまうと思い、必死でした。
それでも、アルバイトなど、お金を稼ぐには至りませんでした。

また、英会話サークルで知り合った宣教師の方の勧めで、プロテスタントのキリスト教会へも通うようになりました。
しかし、人と打ち解けてコミュニケーションをとったり、洗礼を受けるまでには至らず、結局、宣教師の方とも関係が壊れ、再び引きこもるようになりました。

その頃、弟も父親と決裂し家を出ました。
その時、父親は出て行った弟に、今までの養育費の請求書を母に渡し、弟に渡すように言いました。
(でも、母は弟にはそれを渡さなかったそうです。)


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