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アフリカ!
随分と長い間、私の部屋の壁には、世界地図が貼ってあった。
「アフリカに来るなら、一か月以上は休みをとってね。じゃないと私、案内しきれないから」
友だちの良子ちゃんの言葉に、はっとした。アフリカって広いんだ……。良子ちゃんとは、私が東京で日本語教師養成講座に通っている時に知りあった。彼女はケニア生まれ、ケニア育ち。
(あ、良子ちゃん、ライオンの子供に似ている)
ボーイッシュなショーットカット姿で、アーモンドのような瞳を初めて見た時の、彼女の第一印象だった。両親は、ケニアでカシューナッツの工場を経営していた。アメリカの大学で学生をしている時に、日本に一度行ってみたい、と両親に頼みこみ来日したらしい。そして、偶然私と養成講座で知り合ったのだ。良子ちゃんは当然、英語がペラペラで当時、財政が乏しかった私に、ケニア人の友人の日本語のプライベートレッスンのアルバイトを紹介してくれた。無事に私が、日本語教師となり海外派遣になった時も、
「世界を闊歩しているのね」
と、絵ハガキをくれたっけ。その後、イギリスでおちあった時も、嬉しくて楽しかった。
その後の彼女はといえば、ケニアの自宅を建て直すとき、お父さんに「窓」のデザインを頼まれたといって、来日してステンドグラスを突然習い始めた。
もともと、アフリカには、小さな縁(えにし)が幾つかあった。最初は、高校を卒業した春頃。上野動物園でアルバイトを始めた。私の配属は、「門」。東門と西門の職員さんの手伝いだった。職員さん頼まれて、朝一番にスズメに米をまいたり、動物たちを見ながら、各売店に回覧板をまわしに行ったり。雨の日は、倉庫で池のかるがもにあげる餌をつめたりした。そして昼休み、休憩室にいくと、各売店や食堂で働くバイトの仲間が休んでいて、たあいもないおしゃべりをした。その中の一人に、お金を溜めてアフリカに旅行にいってきた人がいた。
「シマウマのお肉はやわらかくて美味しかったけれど、ゴリラの肉は臭くてまずかったよ」
へぇ、そうなんだ!私の記憶にその話が、残った。
二つ目の小さな縁は、大学院で働いていた時の大先輩がアフリカまで旅行に行ってきて、楽しかったと話してくれたこと。その後、私は、中島らもの小説「ガダラの豚」――これは、アフリカの呪術信仰についての話だったーーを、夢中になって読みふけった。しかし、やはりアフリカは、いつだって現地で自分の目に飛び込んできたものを信じたいと、思わせるのだった。
何故、アフリカに行かなかったのだろう。飛行機代のことや、飛行機に乗っている時間が心配だったのは確かだけれど、やはり当時、良子ちゃんの言葉を信じた私は、ツアーで行くのは嫌だったのだ。大人になると、日本ではまとまった休みをとるのは難しい。そしてタイミングを逃した私は、アフリカにはいまだに行っていない。
アフリカ、それは私の中で越えられなかった壁。そして今、部屋に世界地図はもうなく、カーテンは静かに降ろされている。