墨の香り
言葉を省略するのが苦手だ。どうして略さなければいけないのか。時間の省略?物事を省略する人の心理……この言葉、当然知っているよね?みたいな「優越感」が苦手なのかもしれない。
「マクドナルド→マクド」
「まいばすけっと→まいばす」
「タイムパフォーマンス」→「タイパ」など。
「マクド」や「まいばす」なら、まだ意味がわかるが、わたしは長い間「タイパ」の意味がわからなかった。響きのカッコよさに気付こうとしてもそれ以前に、わたしの心の中に違和感が生まれる。
子どもの頃、長い間書道を習っていた。書くのはもちろん楽しかったが、「墨をする時間」をわたしは、愛していた。あのゆったりした時間の中で、ほんのりと香る墨の匂い。母や先生という大人が与えてくれた贅沢な時間だったとふり返る。
高校生になってからも書道は好きで、やはり入学してすぐ、意気揚々と書道部を見学にいった。そこで顧問に聞かされたこと。
「墨は墨汁をつかいます。」
「え?……それでは筆が痛むのでは?」
部の体制についていけないような気がして、入部をやめてしまった。少々、頭が固かったかもしれない。
でも、墨の香りは、省略やスピードではだせないと今でも思うのだ。
言葉そのものと言葉の余韻、所作そのものを所作の余韻は、大事にしたい。