8/5 日記『半年ごとの絵描き熱』

今日はよく絵を描いた。
描いたと言っても模写である。オリジナリティに溢れた創作ではない。
pinterestで気に入った写真を模写する。ただそれだけのことだ。
絵を描くという行為に耽りたかった。

こういう衝動が、半年ごとに定期的に起こる。それは決まって、定期的に文章創作熱が高まる時期の後、少ししてからくるのだ。溜まった粗熱を別の方向へ逃がすみたいに。

実際、原理としてもそう外れてはいない筈だ。創作欲を一心に文章へ向けるだけの根気と言うものがなく、少し飽きるために、絵と言うものに流されているのが、この絵描き熱の正体だと思う。

字面にすると悪いことに見えるが、現状、そう悪い感覚は抱いていない。どうせそういう時期は、何かしら文章を書いてはいる。見方を変えれば、息抜きともとれるからだ。

じゃあ好きに絵を描いとけばいいじゃないかという結論になるが、もう一つ気になる点があるから、以下はそれについて記そうと思う。
それは、定期的な波が来る度、画力が少し上達していることである。
数か月という空白期間を空けながらであるが、落書ノートをさかのぼると、確実に模写の『こなれ』感が上がっている。

これを何故かと考えた結果、おそらくの原因を掴んだ
それは『見栄のクールダウン』である。

端的に言えば、『上手く描きたい』という気持ちが、いい意味で冷めるのだ。
最初の頃、私はうまぶって、一筆に一分を書け、コピー機のような模写をしていた。
そうすると、完成するのは写実系の、それなりに見れる模写である。ひとしおの達成感もあった。だが、素人絵であるから、細かい線にはがたつきがあるし、描けたからといって別の絵を、モデルを見ずに描けるようになるわけではない。人間コピー機の経験値を少量稼ぐだけだ。
しかし、それからもう何年か。今日は、薄い線で曲線系のラフを取り、その上から濃く本線を描いて模写を完成させるようになった。
最初の頃は一つの絵に数日掛けていたのが、今日になればひとつ30分程度で描くようになった。
勿論写実性に関して言えば下がっているのだが、(自惚れ承知で言えば)いい意味でスケッチ風味が出るようになった。流れで描き切る中で、デフォルメの成分が生まれ始めたのである。欠片のようであれど、それは再構成という点で創作性を持ち始めたということだ。
線自体もよくなった。間違えないよう間違えないよう引いていた均一な線よりも、ラフに沿って楽な気持ちで描いた線の方が、流れがあってよい。

完成度に関しても、時間を掛けないから気にしないようになり、それが一周回ってむしろ、迷い線も減り、消しゴムを掛ける回数が減り、完成度も高まったと思う(スケッチの方向で)。

念のため付け加えておくと、『絵師』を名乗れるような画力では勿論、到底ない。イラストサイトやSNSに流すわけでもない、自己満足の画力である。
とはいえ、描き始めたころから今が一番楽しく描けている。

これは、とてもお得だ。
半分逃避行為で始めながら、数か月に一度手を動かし、着実にうまくなっていき、なんやかんや楽しくなっていくというパターン。『サボってた』ともいえる空白期間が、『上手く描きたい』という粗熱をとる効力を持つ、というのは極めたいわけでもない創作において、何か可能性が眠っていそうであるとは、言えるだろうか。言えないだろうか。


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