「花火」日記 8/3

花火を見た。
ベランダから見える花火を、引っ越してから初めて見た。それまではずっと仕事が重なって、一度も見たことがなかった。
ベランダから見る花火の画角は素晴らしかった。遠くのマンション二棟の奥に花火が見えるのだが、丁度低い方の真上に花火が咲く。一角だけ縁どられているような形だ。花火の高さや幅というものが、より映えていたと思う。
ベランダから花火が見えるということは知っていたが、その見栄えは思っていた数段も勝っていた。そして見栄えだけではなかった。三秒遅れの轟音。ベランダで浴びるぬるさと涼しさの中間の夜風。見聞は経験に勝ることは無いのだ。

久しぶりに真面目に感動して、気持ちは作り手の方まで向かって、多分この一年をこの一日に掛けたのだろう花火師さんたちに思いを馳せたりした。一発一発に命の危機が含まれている。そんな花火玉に込められた鍛練の歴史がきっとある。最後、大仏のシルエットのように咲いた金色の火花の幕を見送ってから、小さく拍手した。花火は、近くにいる人間全員が見上げることができる。平等な芸術だ。近くに住まっていた私は幸福であり、三年越し、ようやく気付いた。

終わった後、何もないいつもの夜に物足りなさを感じた。
自然でもいいし、花火でもいい。現実に現象として存在する芸術めいたものに圧倒されると、毎日、むやみに眺めているネットと言うものが、よりつまらないものだなぁと気づかされる。
つまらないことが悪い事とは言わない。思考停止の時間の浪費が、日々の疲れを麻痺させていることはあるだろう。
しかし、余裕があれば、散歩にでも出かけるべきだし、本を読むべきなのだ。実感のある時間を得るために。人生にはそんな時間が多くあるべきで、今の私には少ない。

花火を見ている時、いくらか家族に送る用の動画を撮った後、邪魔だからスマホをベッドに投げた。手空きで眺めたいと思った。あの時間がとても良かった。

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