8/6 日記『AI cover』


最近AI cover動画をよく聞いている。作業用BGMにしている。

AIは現状、センシティブな話題だ。著作権なりなんなりがとてもグレーだ。
そして、私自身AIが分別なく好きと言うわけでもない。特にイラストに関してははっきりと苦手だ。私の著作権意識がどうこうというわけではなくて、AIイラストだけに特定して言えば、まだまだ『不自然』であるから苦手だ。

AIcoverで書き出しておいて申し訳ないが、一旦AIイラストの苦手さを解説する。

AIイラストは現状、『”一見”美麗』に留まって、頭打ちという感じだ。5秒見ると違和感が生じてくるし、よりしっかり見ると、『何を意図しているのか分からない微妙な表情』『髪、服のしわ、細部の破綻』等と、不気味の谷がはっきりとわかってしまう。一見口当たりの良い料理の中に、砂利が入っている感じ。それはもはや不味いというより、『口に入れたくないモノ』で、だから苦手なのだ。

一方で、不思議なことにAI coverはとても聞ける。違和感もないし、好んで口にいれたくなる。
これは、幼いころからボカロ文化に触れてきたおかげが大きいと思う。
電子音も、原理的に言えば『不自然』の筈だ。人間の喉とは根本的に発声法が違うのだから。AIcoverもいわば電子波形の加工であるだろうから、似たようなものだ。

しかし、ボカロネイティブというものなのか、私はむしろ親しみを感じてしまう。何万と聞いてきたボカロ曲。一日中聞いていたこともある。だからもはや『何故不自然を抱かないか』を突き詰められるわけはなく、『ただ事実』という感じだ。

(少し余談になるが、ここで興味があるのは、非ボカロ世代が効いたらどう思うのかということだ。私にとっての生成イラストへの忌避感と似たような感情を抱くのだろうか。いつか親にでも聞いてみようか。
そして、幼いころからAIイラストに触れると、違和感を抱かなくなるのだろうかというのも気になる。むしろささやかな破綻に『味』を感じ出すかもしれない。
正解は十年後くらいに、『Z世代の次』世代が出て来れば分かるだろうか。)

さて、以上がAI coverにマイナス印象を抱かない理由だ。
一方で、プラス印象も私は抱いている。

それは『素人の美味しい料理』感だ。

当然ながら、本家本元に比べると、音源からボーカルまでクオリティは一段劣る。その代わり、声の違いという新鮮さがあったり、ささやかな音源アレンジという作家性の片鱗があったりする。
それが良いのである。
いい意味で、聴き流しやすいのだ。
いわば本家本元は高級料理のクオリティで、その圧倒的な完成度は、『ただ音楽を掛けておきたい』気分には重いことがある。
『マックの新作だ。食べてみるか』の気分に近いかもしれない。マックの口のとき、ハンバーガー専門店には行きたくないだろう?

何の紹介もせず冒頭に載せたが、『@clubbedsam』というアカウントに今はハマっている。ずぬけてAI coverのクオリティが高い。
あくまでも、『美味しい』素人料理がよい。クオリティの高いアングラが好きなのだ。
これももしかして、ボカロ文化の原点、ニコニコ動画に入り浸っていた影響が大きいかもしれない。
復旧おめでとうございます。


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