落ちていく人間に登る人間は勝てない?

すごく「あ……」となった内容

「思春期ビジパを全て真に受けたら凡人は死ぬ」と友人との飲みで話していたのだが、これは正直ビジネスに限らず下手したら趣味にも適用できる話では…?と思ったのでしたためておこうと思います。

俺らの代弁者(←正確には代弁者ではない、この表現は本来不適切だが今回はノリで使う)若新雄純がまたもや正論をブン投げる。

世界中の成功者は 落ちやすい方に落ちてるだけ

大谷翔平は野球に落ちた
藤井聡太は将棋に落ちた

落ちた先がマネーや社会的成功に通じただけ

万人落ちる先は異なる。呂布カルマさんがまたいい発言をされてる。
「下積み時代について訊かれると違和感がある。好きでやってたから、たとえ食べられて無かった頃でも『下積み』なんて意識は無かった。」
これはどちらの発言か忘れたけど「そもそも『下積み』という意識が生まれてる時点で既に不向きだし、自分の気持ちも向いていない」。

ただ一方でこんな発言もされている。
「学校を落第しない程度の努力はした、その時の経験が活きてることも無いわけではない」。
これに関してサノモトキ氏がいい追っかけフォローを付け加えている。

登っている時=位置エネルギーを貯めている時間

自分の向き不向きに関わらず"努力"をしている時間は、いずれ自分が向いている方向へ"落ちる"時の追い風にもなり得る。
まぁある意味総括して言うと

無駄なことなんて無い

となるわけ。
自分が向いていないかもしれない方向へ努力している時間も、結果として方向が違ったとて何らか作用する力になるかもしれないんだぜ。
そもそも人が生まれて生きて死ぬという一連の流れ自体に意味が無いし

で、なんでこの話が趣味に生きるのよ?という話ですが
「レスポンスやインプレッションに向かって創作する時より、自分の知りたいものを突き詰めて調べている時間の方が圧倒的に気持ちいいなぁ」と最近気づいたからです。
二次創作界隈は(全て、ではありませんが!)浅い共感を募るために浅い感想を投げ、それに雑な人間が群がり、そこに自分から巻き込まれに行った挙句大して拾われない時……やたら損をした気持ちになります。(お前の主張に訴求要素が無いだけだよ)
それなら無理に浅い感想を投げたり無理な創作をするよりも、自分の気が済むまで原作の理解を深め、そこで自分でついた整理から創作した方が結果的に評価が少なくても自分が幸せになれるのではと思い至ったわけです。

そんな大きい結果が得られなくてもそこそこ生き易い方向に落ちる先があったらいいなぁ…というか程々にいい落下先を嗅ぎつけるべく、今日も位置エネルギー貯めて生きていこう。なんかそんな感じ。

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