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追悼:かっちゃん(コンディショングリーン)残されたライブ映画「ワイルド ウーマク オキナワン」②
「ワイルド ウーマク オキナワン」野性的でやんちゃなオキナワンロッカー(1979年)
1979年、高嶺監督は、コンディショングリーンの映画「ワイルド ウーマク オキナワン」を撮影していた。場所は京大西部講堂と沖縄コザ(現沖縄市)のライブハウスBCstキャノン。かっちゃんの目はまさに、野獣、怒れる獅子の目をしていた。
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ステージはまるで戦場のようだった。沖縄は「ベトナム戦争から遠く離れていなかった」。明日ベトナム戦争の最前線に立つ米兵を前にコンディショングリーンは命がけのロックをかきならし対峙していた。
と熱くなる私に水を差すように、かっちゃんは余興で使う大型の巨大眼鏡をかけて、花火をぐるぐる回しだす。
かっちゃんに担がれギターのシンキはぐるぐる回されながら演奏し続ける。あげくの果てにエディの上にかっちゃん、かっちゃんの上にシンキが乗り、演奏している人間タワー。
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「コンディショングリーン」バンド名は米兵の外出禁止令、外がどんな台風や嵐でも自分達のステージを楽しんでもらい忘れさせる。とにかく楽しませるためなら何でもやる。
突然、ハブを咥え、血を吸ったり、客のブーツにビールを注いで飲んだり…。
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高嶺映画の「沖縄の血と地と知と痴とchi」
ステージ上のかっちゃんは、神話の神の大暴れのようでもあり、ただのクレージーで危ない人のようでもある。聖と俗の合体。
それを印象づけるかのようにLIVE映像と「オキナワン チルダイ」の素材が音楽のリミックスのように重ねられ、当時の彼らの生の声も入り、ライブ映像が映画として時間と空間を超え、複雑に立ち上がってくる。
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高嶺映画は「沖縄の血と地と知」であるというある批評家の言葉。しかし高嶺監督は「私の映画は『沖縄の血と地と知と痴とchi』クレージーの痴と何にもとらわれないchiを加えたい」と言った。
まさにこの「痴とchi」を加えたのがかっちゃんだったと思う。
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かっちゃんのこ鼻の穴に煙草を突っ込み、大量の煙を吐くこの顔は、まさに「パラダイスビュー」のポスター、空中に浮く火を噴く(血を吐く想いを吐く)シーサーそのもののように思える。
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かっちゃんの(ベトナム戦争時の)米兵への想い
私はこの映画の特典映像を制作していた。この時のインタビュー(2005年ホワイトアヴェニュー(旧BC通り)、ニューヨークレストラン)の内容は忘れられない。
かっちゃんはいきなり朝からビールで乾杯をして
「ほんとにもぅ、どこに行っても兄弟よ、ふふふふ、これ偶然じゃないですからね、監督…」
特に印象に残っているのは、かっちゃんのベトナム戦争の頃の米兵に対する思いだ。高嶺監督の「(ライブでの米兵に対する)挑発のやり方について」という質問に対して。
「(喧嘩になっても)続かすためには、お互い死んじゃあ、いかんわけ。 刺されても、とどめ刺さないわけ。とどめを刺さないで、立ち上がらせて また喧嘩するわけさ。また刺してこっちもとどめ刺さないで、地を這うまでさ、ひっくり返るまで、HAHAHA!『わかったか』『まだ参らん』」
こういう挑発のやり方と別のやり方は、今度は相手を攻撃しないで自分 を攻撃するわけですよ。アイスピックをこうして、見ておけよ(アイスピックを手のひらに刺す仕草)ぴしーっ(手のひらの反対側からアイスピックをつかみ)でてきたなぁ。そしたらさすがのアメリカ人も「HAA?!」となるわけですよ」高嶺監督「相手を怯(ひる)ます?」「そう」
命を奪う事のない1対1のどこまでも対等の喧嘩。アメリカンロックのコピーをしていても、媚びを売ったり卑下するのではなく、オキナワンロックとして誇りを持って、挑むように対等の気持ちで演奏する。
攻撃を防ぐために、攻撃を自分に向け、相手を怯ます方法。
かっちゃんのステージ上の過激なパフォーマンスもフラー(馬鹿者)のふりをして、滅茶苦茶やる方法も、全部、米兵への熱い友情のように思える。
最後の高嶺監督の「(ベトナム戦争で)亡くなった米兵のために一言」の質問に対してかっちゃんは
「僕は一言、言えと言われれば、あなたのせいじゃないと言いたいね。死んでいったのは、あなたのせいじゃない。もうそれしか言えない。あなたの意志で死んだわけじゃないし、あなたのせいじゃないと。ベトナムで亡くった事は…。
ということは、あなたのせいじゃないから、また生まれて、コザの街に遊びにくるかもよってHAHAHAHA!でしょ。自分のせいで亡くなったんじゃないから、またアメリカのどこかで生まれて、また沖縄のコザの街にいつか顔出すはずよ。と言いたいね。僕は…。
だってあの恐怖心とあの楽しさが、ものすごいギャップでしょ。コザの街であんなに解放的に楽しんだのに、明日はものすごい恐怖感でしょ。
このバランスで、結局亡くなっていったでしょ。それ考えると…、僕はそう思うね…」
高嶺監督のさらりとした質問「もう来てんじゃないの?」に対して。
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「僕のライブハウスに3人ぐらいいるらしい。ベトナムで亡くなった人たち が。ブロンドの女も、男も二人。いるって。よく感じる人がいるでしょ。沖縄のサーダカ生まれ(霊力の強い人)の人が、その人が「かっちゃん向こうの階段の所に、アメリカ人の男性二人と女性がいるんだけど…。はぁ?悪い霊ですか?違う…。音楽、聴いてると…、音楽を聴きに来てると…」
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やはりかっちゃんは古代琉球の時代から琉球原人として生きていたような気がする。そして近い将来、ベトナム戦争で死んだ米兵たちがライブハウスに戻ってきたように、かっちゃんは、また音楽をやりに、ふらっと沖縄のコザの街に戻ってくるような気がする。